地域の宝を守ろう ボランティア「源智の井戸を守り隊」発足

長年活動した有志の会が高齢化で解散

松本市街地で古くから人々に親しまれ、観光名所にもなっている市特別史跡・源智の井戸(中央3)。地域の宝を自分たちの手で守っていこうと3月、ボランティア組織「源智の井戸を守り隊」が発足した。井戸は長年、地元の有志の会が清掃などを担ってきたが、高齢化もあり解散。市が対応を検討し、来年度から清掃業者も入る予定だ。市民ボランティアと行政を「両輪」とする、新しい枠組みの活動が本格化する。
3月1日午前7時、手がかじかむ冷え込みの中、約20人が源智の井戸に集まった。市の第二地区地域づくりセンターが参加を呼びかけ、応募してきた人たち。「源智の井戸を守り隊」の初仕事だ。
参加者は柄のついたブラシで井戸周辺の木枠を洗ったり、ジョレンで井筒内部の玉砂利をかき回し、藻などを落としたり。出たごみは金属製のざるですくい出した。水が井戸から流れ出る側溝の清掃も行った。
参加した市内の女性(40)は「いつもここの水を利用しており、ちょっとでも自分にできることがあれば、という思いで来た。(井戸が)きれいになったのが見えて、うれしかった」。中条東第1町会長の西村好寛さん(69)は「(この日の清掃で)状況がつかめた。次は高圧洗浄機を使うなど、効率的に作業できるやり方を試したい」と、次回以降の活動を見据えた。
活動を見守った地元の宮村町1丁目町会長・伴吉宏さん(80)は「(町会員は)年4回の祭りや公民館の当番などやることが多く、井戸の管理もやってくれとは言えない。ボランティアが担ってくれるのはありがたい」と歓迎した。

行政も清掃支援 守り隊と両輪で

江戸時代以前からの歴史があるといわれる源智の井戸。大正期以降は上水道が整うなどであまり使われなくなり、市が1967(昭和42)年に特別史跡に指定した頃には、水位が下がっていた。「井戸を後世に残したい」との地元要望から、市は1989(平成元)年に掘削を行い、地下40メートルの水脈から湧出する井戸として復活した。毎分200リットルほどの水が湧く。
これを機に、地元有志でつくる「源智の井戸を守る会」が月に2、3回清掃し、清潔な環境を保ってきた。しかし、活動を続けてきた5人全員が80代以上になったこともあり、昨年5月に解散。活動を引き継いだ「井戸と花の会」(5人)も今春解散するため、関係者の間から「行政の支援」を求める声が出ていた。
市は第二地区町会連合会にも相談し、対応を協議。同地区地域づくりセンターが清掃を担うボランティアを募り、3月は旧守る会会員らからの「引き継ぎ期間」とし、1日と15日の2回活動してもらうことにした。

市は4月以降、月3回程度の清掃を行う予定。このうち2回は業者に委託し、1回を「守り隊」に担ってもらう考えだ。これまで業者が清掃に入るのは、ほぼ5年に1度だった。
新たな組織の活動について、旧守る会で活動した荻村繁男さん(88)は「今まで4、5人でやってきたことなので、多くの人が参加してくれるのはありがたいが、長続きすることが大事」と、継続できる体制づくりを期待する。
守り隊は当面、地域づくりセンターに事務局を置いて活動を軌道に乗せ、将来的にはボランティア組織としての「自立」を目指す。
センター長の臼井美保さん(54)は「源智の井戸は歴史的な価値があり、観光面でも大切な場所」とし、「地域づくりの面からも守り隊の活動が重要になる。そこを憩いの場とし、楽しみながらやっていただければいい」と話す。
ボランティアは今後も随時募集する。問い合わせは同センターTEL0263・39・3601

【源智の井戸】
松本の城下町が造られる前から飲用水として使われていた。1843(天保14)年に書かれた当時のガイド本「善光寺道名所図会(ずえ)」(豊田庸園著)は「当国第一の名水」と表現。江戸時代後期、城下町に多くの造り酒屋があり「町の酒造業者はことごとく、この水を使った」と記している。
2008年、環境省が全国の清水や良い水環境の中で、特に地域住民らが守る活動をしている所を選定した「平成の名水百選」に「まつもと城下町湧水群」が選ばれた。源智の井戸は、その代表的な湧水の一つ。
法政大のゼミが21年8月7日に行った調査によると、同日に井戸を利用したり観光で訪れたりした人は、日中の12時間で200人を超えた。