52歳でがん発症・傘寿迎えた竹内尚代さん 松本移住し人生を謳歌

52歳でがんを発症してから現在まで、8回の手術を受け、昨年暮、傘寿を迎えた竹内尚代さん(松本市埋橋)。若い頃は未婚の母として子育てを経験。人生の荒波にもまれながら、4年前に同市に移住してからは、自身で映画の上映会を企画したり、昨年は念願のウイーンでコンサートを鑑賞したりするなど、人生を謳歌(おうか)している。

イベント企画など自立し精力的に

27年前、卵巣がんで子宮と卵巣を全摘出。以降、後遺症で腸ヘルニアを患ったほか、がんが再発し、これまでに8回もの開腹手術を受けた竹内さん。
病気との闘いの中で学んだのは「医師との付き合い方」。がんは命に関わる重大な病気。それだけに、自分でがんについて勉強しながら、「医師に聞きたいことは聞き、望むことはしっかり伝える。わがままな患者でいい」と気付いた。そうした考えがあったおかげで、心折れずに、病気と向き合ってこられたのだ。
2020年、東京から松本に移り住んだ娘の自宅で長期療養。自然が豊かなうえ、文化的で街のサイズもちょうどいい。何より、大ファンだった世界的指揮者の故・小澤征爾さんゆかりの音楽祭がある。松本に住みたくなった。
病気のこともあり、周囲は移住に反対したが、決意は変わらなかった。東京の友人らに協力してもらって引っ越すことができたという。現在、介護度は「要支援2」。訪問ヘルパーの助けを借りたり、マッサージやはり・きゅうなどで体のメンテナンスをしたりしながら、自立した生活を送っている。
そんな暮らしの中で、報道写真家の樋口健二さん(88)の半生映画や反核をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映会のほか、旧知のフリーライター、吉田千亜さんのイベントを企画するなど、精力的に行動。「こうした催しを通じて多くの友人ができた」とほほ笑む。
また昨年末には80歳の記念に長年の夢だったウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ジルベスターコンサート(大晦日(おおみそか)の演奏会)」を聴きにオーストリアのウイーンまで出かけた。

学童の保護者ら 友情が生きる力

20代で結婚。出産し、子育てをしながら在日朝鮮人政治犯、徐(ソ)兄弟の救援活動に関わった。そのさなか、年下の学生と恋仲になり離婚を決意。学生とは事実婚を選択。二人の間に生まれた2人の子どもは未婚の母として育てた。
当時の女性の就職状況は現在より厳しく、やっとの思いで職に就けても、いじめやセクハラに遭い、泣く泣く退社したことも。
40歳目前で、東京都練馬区の小学校の学童擁護員に正規採用。その際、労働組合の活動に積極的に関わり、その後、同区職員労働組合の役員も務めた。
こうした経験から、保育所や学童クラブの保護者たちとの親交も深くなり、友情に発展。がん闘病や連れ合いとの事実婚解消などで落ち込んでいる時の力に。「この人たちの愛情を『食べて』生かされている」と心底思うほどになった。その人たちと東日本大震災後に立ち上げた「福島こども保養プロジェクト@練馬」は、今も継続しているという。