
ダウン寸前から猛ラッシュ
知る人ぞ知る、県内ジム所属でただ一人日本王者にまでなったプロボクサー。勝つときも負けるときもKOが多く、「信州の一発屋」の異名を取った第42代日本ライト級チャンピオンの「闘いの記憶」は、地元松本での凱旋(がいせん)試合だ。
高校3年時に、当時同市平田東にあった新日本カスガジムに入門。卒業後はサラリーマンとの二足のわらじを履き、プロとして上を目指した。
1989年8月6日。当時22歳の西澤は、プロになって初めて松本市総合体育館に特設されたリングに立った。それまで11戦5勝5敗1分けの戦績で臨んだ6回戦の相手は、87年度の西日本スーパーライト級新人王の山根禎英(大阪・グリーンツダ)。
会場には両親をはじめ、会社の同僚など多くの知り合いが応援に駆け付けた。「ぶざまな試合だけはできない」。覚悟してリングに上がった1ラウンドの立ち上がり。左ジャブをヒットさせた後、頭を下げて続けざまに左ボディーを打ち込む。拳がずぶずぶと相手の腹にめり込み、「あまりの感覚の良さに一瞬酔いしれた」。
次の瞬間、相手の右フックが左耳を直撃し、「バン」という破裂音が。過去にスパーリング中に鼓膜が破れた時と同じ音だった。前のめりに倒れそうになったが、相手の体が支えになり、何とか踏ん張った。はた目にはダウン寸前。が、それでスイッチが入ったのか、猛ラッシュで相手を追い込み、1ラウンドKOの圧勝を演じた。
「連打している時は、何でこんなに体が動くんだろうと思った。自分の全能力の出し方みたいなものをつかんだ」という一戦だった。
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92年9月11日、1万3千人の観客で満員の東京・日本武道館。メインイベントにWBA世界スーパーフライ級王者の鬼塚勝也の初防衛戦が組まれたこの日、西澤はセミファイナルで日本ライト級王座に挑んだ。それまで2度対戦して1勝1敗だった王者の斉藤孝(東京・角海老宝石)に、2ラウンドKOの快勝だった。
以後2度の防衛を果たし、3度目の防衛戦で後に22連続防衛の日本記録を打ち立てるリック吉村(東京・石川)に敗れて陥落。同時に引退を決意した。26歳だった。
「日本王者になってからは『負けたら引退』と決めていた。もともと知り合いに誘われて始めたボクシング。チャンピオンになれるなんて思ってもいなかったし、それほど執着はなかった。それに…」
日本王者になっても生活は苦しい上、地方の小さなジムで世界を目指す難しさ、選手としての寿命などを考え、堅実に働く道を選んだ。現在も会社員。かつての所属ジムの後輩が立ち上げた市内のジムをふらっと訪れ、選手らにアドバイスするのが今のボクシングとの付き合い方だ。
それでも、あの日放った左ボディーブローを喜々として語り、30年以上前の感触をいとおしむかのように拳をさする男は、かつて「チャンピオン」と呼ばれたその人に違いない。<文中敬称略>
【にしざわ・まこと】1967年、山形県で生まれ、松本市で育つ。松本筑摩高3年時にプロテストに合格し、86年4月デビュー(2ラウンドKO勝ち)。92年9月に日本ライト級王者に就き、93年9月に3度目の防衛に失敗し陥落、現役を引退。通算27戦15勝(13KO)11敗1分け。同市沢村在住。