
松本市民らでつくる組織「松本まるごと博物館友の会」の記念講演会が、市立博物館で開かれ、明治大文学部教授の中江桂子さん(61、東京都)=文化社会学・メディア文化論=が「共創としての地域文化と博物館in松本」の題で講演した。地域の文化を創造する上で大切なことは何か。約70人が聴講した。
人の交流が地域文化を醸成
明治時代に松本城の保存に尽力した市川量造と小林有也は、黒門近くにレリーフまで設置された、いわばレジェンド(伝説)だ。ただ、1人で奔走したわけではなく、市井の人たちと連携し、支えられていたことを見落としてはいけない。
松本の博物館としては、1906(明治39)年の松本紀念館が最初だろう。日露戦争出征兵士の寄贈品を展示するのが目的だったが、だんだん軍事以外の寄贈が増え、土器など考古資料が充実。モノに歴史を託し、地域の記録に住民が参画する基礎を築いた。
人の交流も興味深い。例えば、高山植物研究の第一人者、河野齢蔵が携わった、信濃博物学会の創設(1902年)などは、自然科学研究のネットワークづくりだった。
俳人・歌人で民俗学研究者の胡桃沢勘内らは、「話を聞く会」を運営した。柳田国男、折口信夫、金田一京助といった著名な学者を松本に呼んだ。
特徴的なのは、「偉い先生から話を聴く」という受動的な姿勢ではなく、「自分たちがしゃべりたい」という会だったことだ。その結果、密接な人間関係が生まれ、文人たちとの交流が長く続いた。地域文化を醸成する上で大いに役立った。
地域の文化を共に創り上げる「共創」には、さまざまなかたちがある。松本の歴史から三つが読み取れる。
第一は、行政と市民の共創。この場合、市民が主体であることが大切だ。第二は、地域と外の人間との共創。第三は、歴史と現在の共創。東京は変化だけを求めた結果、どこも高層ビルばかりになってしまった。歴史を保存し、その地の個性を再認識しないと、独自性のある地域づくりはできない。
共創とは、仲良しのことではない。時に対立しながらも、好奇心を持ち、楽しめる人たちが、未来の地域の文化をつくっていく。