自分の世界観を音で伝え30年 安曇野の作曲家・山﨑正樹さん

バイオリンやピアノなど、さまざまな音色を作り出せるシンセサイザーを駆使し、自分の世界観を表現する作曲家がいる。安曇野市豊科光の山﨑正樹さん(44)だ。
最初は指揮者に憧れ、小学校時代の音楽教諭に勧められ、独学でピアノを始めた。弾いているうちに、曲のようなものができたという。オーケストラや演奏をまとめる指揮者より、曲を作る面白さにはまった。
保育園時代から、パソコンに親しんでいた。中学校の音楽室にあったシンセサイザーに初めて触れた。その二つが今の山﨑さんの原点になっている。
作曲を始めて今年で30年。節目の記念アルバムを昨秋に配信で先行リリースし、今秋以降に第2弾を予定している。

小澤征爾さんに憧れ音楽の道へ

2018年、作曲家、山﨑正樹さんが制作したアルバム「組曲信州」。第一~三楽章で構成されている。信州の朝、昼、夕暮れから夜を表現したという。バイオリン、チェロなどさまざまな音が重なり、壮大な世界が広がる。自宅の制作・録音スタジオで完成させた1枚だ。「信州をもっと知ってほしい、信州を好きになってほしい」という思いを込めた。
子どもの頃、小澤征爾さんに憧れた。指揮者になりたいと、独学でピアノを始めた。ピアノを弾いている人の手の動きを見たり、クラスメートにアドバイスをもらったり。「ピアノ教室だとノルマがある。自分で探究するのが好きだから、結果、独学が良かったかな」

中学で出合ったシンセサイザー

節目の年を記念アルバムも配信作曲に興味を持ったのは、中学生の時。「ピアノを弾いているうちに曲のようなものができた。指揮より面白そう」。中学校の音楽室にあったシンセサイザーに興味を持ち、保育園の頃から遊んでいたパソコンとリンク。山﨑さんなりの作曲活動がスタートした。
松本筑摩高校通信制2年生の時、初めてのCD「EMOTION」を制作。評判は悪くなく、手応えを感じた。作曲は自分を表現する手段だが、人前で発表するのは苦手といい、発表はもっぱらCD。高校時代に3枚を作った。
卒業後の進路をどうするか─。音楽関係の仕事を希望していたが、周囲の反対もあり断念。パソコンのカスタマーサポートの会社に就職、仕事をしながら作曲活動を続けた。
数年後、体調を崩し退職。治療を受けながら、作曲を続けた。オーディションにも挑戦、ライブハウスの音響、照明などの手伝いもした。
18年には「組曲信州」のCDを制作。19年には、テレビ信州ドキュメンタリー「カネのない宇宙人閉鎖危機に揺れる野辺山観測所」「人生の湯城下町の一角で…」で音楽を担当した。
10年ほど前から配信を始めた。「CDは在庫を抱える、販路がないといったリスクが多い」。配信は国内外で聴いてもらうチャンスがあり、アメリカの音楽配信サイトで「catlife」が24位にチャートインするなど、多くの人の心をつかんだ。

節目の年を記念アルバムも配信

今年は作曲活動30年の節目の年。昨秋アルバム「30thAnniversaryCollectionSide─A」を配信。今秋以降、「Side─B」を予定する。2月からは月1回のペースで、シングル配信もスタートした。
オーディションへのこだわりからも、ここ1、2年で解放された。「他人に評価をゆだねるのはやめよう」と、自分の思うように、好きなように曲作りに向き合っている。「人生、思うようにいかないことの方が多いが、続けていれば、やっただけのことはある」
聴いた後、もう一度聴きたいと思う曲を作りたいという。「死ぬまで追求し続けていく」