【ビジネスの明日】#74 アステック社長 大嶋尚志さん

開発と広告代理業で相乗効果を

「創業者の志を継いで、常に新しいことに挑戦したい」。こう語るのは、システム開発と広告代理業を二本柱として手がけるアステック(松本市大手1)の大嶋尚志社長(39)だ。創業60年を超える家業の3代目として6月から独り立ち。「新たな創業のつもりでやっていく」と気を引き締める。
コンピューターによるデータ処理技術などを県内でも先駆けて提供してきた同社。これまでは、商社などを通じたシステム開発の請負業務は主力ではなく、技術者の派遣業務が売り上げの約8割を占めていたという。
こうした現状の中、営業部を新設。請負業務の強化や新規顧客の開拓に積極的に取り組み、売り上げが派遣業務とほぼ同じ水準になった。
また、「会社としてさまざまな価値を提供できるように」と、自社製品の開発にも注力。10月までに製造業者向けのラインの稼働率などを「見える化」する十数年ぶりの独自ソフトを発売する予定。これを契機にベテランと若手の力を融合し、この分野にさらに力を入れるという。
もう一つの柱の広告代理業については「世の中に付加価値を提供できるように改革したい」と意欲的。これまではメディアに広告を出す際などの仲介役が多かったが、今後、ラジオ番組やイベントなどの自主企画に乗り出す。
システム開発と広告代理という一見、共通点が少ない事業に思えるが、「お客さんが抱えている悩みを製品や企画で解決するという根本は同じ」とし、「さらに相乗効果を出していきたい」と見据えている。

大嶋さんの祖父・故一義さんが1947年に広告代理店を創業。63年には同社の原点となるシステム開発業の「アステック」も創業。以後、別々の会社として経営してきた。広告代理店の方は、大嶋さんの父・三紀夫さん(72)が「大嶋エージェンシー」の社名で引き継いだ。
2023年、アステックと大嶋エージェンシーが合併。会長職に就いた三紀夫さんと親子で経営を担ったが、今年5月末で三紀夫さんが一線を退くことになった。
アステック入社後、主に技術者として勤めていた大嶋さん。三紀夫さんの退任で、責任が増すことについて「学ぶこと、引き継ぐことが多い。勉強不足で、社員など周りのサポートが必要」と謙虚に語り「地域に必要とされる会社にしていきたい」と力を込める。

おおしま・ひさし 1985年、松本市出身。松本深志高から日本大に進学。2008年、アステック入社。13年、取締役、21年、社長就任。