【信大講座新聞をつくろう2025】松本市城東「お医者様通り」建物から歴史を探る

青木医院→お堀と青木カフェ

病院時代の良さを生かして

医院からカフェへと姿を変えたのは「お堀と青木カフェ」だ。かつては「青木医院」の名で、長く医療を提供する場だった。
病院の歴史は100年以上前の明治期にさかのぼる。建物は戦前に建てられ、3代目の産婦人科医、青木安弘さんはここで地域に密着した医療を行った。
2011年に安弘さんが亡くなり、医院としての役割は終えた。建物も使われない時期が続いたが、10年後、一部改装され、カフェとして再生した。決断したのは、安弘さんの次女の青木京子さんだ。
「この場所を“元医院”のままにしておくのはもったいないという思いがあった」と京子さん。改装にあたっては「建物の魅力や医院時代の良さは生かしていきたい」と、実際に使っていた医療用のライトや椅子はそのままの形で再利用した。思いがつまった店内は、今、地元の常連客や観光客にやすらぎを与えている。
ミュージシャンを招いた演奏会も定期的に開いている。「地元の人が寄り合える場としてこの建物を残していきたい」と京子さん。歴史ある建物を現在に残すという大きな役割を果たしながら、さまざまな交流やにぎわいの場になっている。
建物を改修し、用途を変えて再利用することは「コンバージョン」と呼ばれ、近年、注目を集めており、松本市でもいくつかの建物でコンバージョンが行われている。青木カフェのあり方は、これからのコンバージョン事業に大きな影響を与えていく可能性がある。

元医院→宮島耳鼻咽喉科医院

医師が設計 街に合う黒板塀

赤い屋根と石造り風の白い外壁。宮島耳鼻咽喉科医院のたたずまいは、お堀沿いでひときわ目を引く。この洋館は医療機関であると同時に、土地の歴史と文化を今に伝える貴重な存在である。
建てられたのは大正中期。産婦人科の医師で建築にも造詣の深かった神戸務が、横浜の博覧会で入手した機材を使って洋館を設計した。
建築を担ったのは佐野貞次郎。1908(明治41)年築の旧松本区裁判所庁舎(国重要文化財)などの洋風建築に携わった大工棟梁(とうりょう)だ。くぎなどの金物を使わない木組み工法を採った。黒く塗られた塀は松本城とマッチした造りになっている。
建物はその後、銀行の社宅や市長住宅として使われていた時期を経て、終戦の45年には2階部分を間借りして宮島耳鼻咽喉科医院の診療が始まっていたという。
現医院になって3代目。先代の妻、宮島宏江さんは、「木造建築であること、赤れんがではなく黒板塀であることが、この建物の良さであると思う。建物は時代の証人であり、時代を見つめてきた建物を後世に残していくことが必要だと感じている」と語る。
建設から100年以上たち、路線バスや大型トラックが通ると揺れることもある。後世まで残すためにも、耐震化の重要性を感じているという。

【取材を終えて】

阿藤暖(経法学部) 取材先の二つの建物は以前から気になっていたので、今回取材できたことは本当にうれしいことであった。取材という行為の難しさを実感する場面も多くあったが、1回きりでも新聞作りに携わることができて本当に良かったと心から思う。
黒沢恵太(人文学部) 宮島宏江さんの「建物は時代の証人である」という言葉がとても印象に残っている。普段何げなく見過ごしてしまう建物にもさまざまな変遷があり、建物に目を向けることで地域の歴史や文化が分かるという新たな視点が得られた。
佐藤結太(農学部) 取材した建物はさまざまなところに昔の名残を感じ、初めて見るものばかりでとてもわくわくした。気になったことを調べ、記事にするのは初めてで大変であったが、その分大きな達成感があった。松本の歴史ならではの建造物の魅力を知ることができた。
三木まどか(人文学部) 過去の記事とは違う、新たな視点で取材することに苦戦した。自分たちが目指す記事の内容に沿った質問を考え出すのが難しかった。カフェや医院など身近な場所で歴史的建物に触れられる松本の魅力を新たに発見できた。
山本恵子(工学部) 2カ所それぞれの建物の歴史を知ることができた。建物は建設時の流行、つまりその時代の特徴を後世に伝える力を持つと分かった。今ある古い建物も、現在普通だと考えられている建物も、大切に保存していくべきだと感じた。