
ビデオ撮影をライフワークにしてきた筑北村坂北の柳沢忠さん(83)の信条は「古里の記録を残すこと」。これまでビデオで撮って放送局に提供したり、近隣の古い写真を集めたり。記憶の証しになると残してきた記録類を、今後は大勢の人に見てもらいたいと願っている。
最初は写真や8ミリフィルムだった。若い頃から、故郷の変わりゆく光景や消えゆく行事を残したいとレンズを向けていた。
ある時、電器店の知人がビデオカメラを持ってきた。その場で風景や会話を撮ると、すぐに再生してみせた。「柳沢さんのやりたいことがここに詰まっている」と、心を見透かしたように言った。1981(昭和56)年、カメラを買い、「ビデオ人生」が始まった。
長野放送やNHK長野放送局に投稿すると、よく採用された。NHKからは「そこに生活している人の目で撮っている」と評価され、通信員として映像を提供するように。2023年まで続け、感謝状も受けた。
思い出深いのは1990年から始めた八坂村(現・大町市八坂)の山村留学取材。山で伸び伸び遊ぶ子どもたちの姿を見て、「俺の小さい頃の再現だ」と感じ入り、15年ほど通った。映像を保護者たちに送ると、礼状がたくさん届いた。
現場では「いろんなものが目に入っちゃう」という。撮影に没頭、カメラは6台を買い替え、玄人はだし。時間とお金をかけた。
はた目には本業そっちのけ。養鶏業を営んでいたが、赤字続きで会社勤めに。だが、撮影時間が縛られるのが嫌ですぐに辞め、土木作業員になった。
2千万円の借金を抱える経験がありながら、一度の機材購入で1千万円以上かけたこともある。「家族には感謝です」
そうまでして続けた理由は、「記録がいつかは必ず役に立つ」という信念からだ。「昔の話も裏付けがなければ、ただの語り草。記録があれば証しになる」
映像だけでなく、資料も残している。若い頃から花火好きで、69(昭和44)年に麻績村の明治町で催された大会のプログラムが現在も手元にある。そこには花火の種類とともに協賛企業名がずらり。「麻績村がものすごく栄えていた証しだ」
「俺しかできない」という使命感もあって続けてきたが、80歳を過ぎて一区切り。これからは記録を整理し、上映会などの機会を設けて地域と共有したいという。
残してきたものは、自身の人生の証しでもある。「俺が死んだ後に子どもが目を通してくれると思う。見てくれなくても仕方ないが、残しておけば可能性はある」とほほ笑む。