やるって言っちゃった

【まつもとさやか】39歳。松本第一高校食物科卒業。2025年7月創業。
話食処 居酒屋 しょうあん
松本市大手4丁目12-9 ☎ 0263ー36ー1281
―飾り切り細工
松本市中山で生まれました。子どもの頃から、母が小料理屋など飲食の仕事に携わるのを見ていたので、何となく「いい仕事だな」と思っていたのかもしれません。
松本第一高校の食物科に行き、調理師の勉強をしました。卒業してそのまま東京の飲食店に就職しました。
多くのテレビ番組などで紹介される中華の名門店でした。就職したと簡単に言いましたが、名門店の敷居は高く、女子高校生を歓迎する時代でもありません。最初に志望した時は門前払いでした。
「使えなかったら捨ててくれてかまいません」と思いをつづった手紙を再度書いて、インターンの形から始めて就職できました。
高校時代のアルバイト先の先輩が、東京の大手ホテルへ就職し、中華の野菜の「飾り切り」を見せてくれて、とても憧れていました。自分も中華料理で細かい彫刻のようなクジャクの模様を作ってみたい。空き時間にキュウリや二ンジンで練習しながら修業しました。
20歳になった頃、父が脳梗塞になり、母一人だと看病や介護が難しく、帰郷しました。
介護をしながら飲食店などのパートを中心に働き、28歳で結婚しました。子どが生まれてからも、飲食業や給食調理などパートの仕事を続けました。
―いつの間にか縁深く
20代前半くらいからだと思いますが、居酒屋の「しょうあん」に立ち寄るようになりました。特別お酒が強いわけではないので、常連ではなかったのですが、結婚後も利用していました。
マスターの中澤正志さんには若い頃からお世話になり、自分の家庭関係や仕事の経歴、調理補助ができることなど、いつの間にか知ってもらい縁深くなりました。
だから、少しお店が混んでいる時などは、厨房に入って調理補助やおかみさんのお手伝いをするようになっていきました。
―やろうとかじゃない
2020年に中澤さんが入院されました。退院後「もう長くないから店やらない?」。半分冗談だと思っていました。
若い頃「お店をやれたらいいな」と思ったことはあります。でも、父の介護や主婦の仕事などを経験すると、現実的でないことは分かっていました。
ただ、年が経過するごとに、「調子悪いから、しっかり手伝って」「やるなら譲るよ」「本気になって…」。年々言葉が重く響いてきました。その後も何度も「どうする、どうする」と言い続けられましたが、その都度ゆるく逃げてきました。
また、中澤さんは大病なのに、お店に立ち続けていることも分かってきました。店の切り盛りを続けていましたが、いよいよ体が弱まり、今年2月末に再入院。時々意識を失う状態になることもありました。3月に奥さんの貴子さんから呼ばれ、「もう夫はお店に戻れないから、最後にもう一度会って」と言われ、面会に行きました。
はっきり断るつもりでした。しかし、意識があるかないか分からない中澤さんを前にすると、心の声は「ごめんなさい」だったのですが…。「実際に口に出した言葉は「やります」。
泣きながら言っていました。最後の会話から間もなくして、中澤さんは他界されました。
―何も知らない、何も分からない
店を再開する準備中は、日々「どうしよう、どうしよう」の連続でした。多くの知人は「大丈夫なの?」と反対しました。ただ、夫はこれまでの経過や背景を共有していたので、応援してくれました。現在も協力してくれて助かっています。
店を閉じたのが3月。すぐ再開へ向け努力を始めました。4月に松本商工会議所に出向き、教えを請いました。「事業計画なんて分かりませんが、やらざるを得なくなったので教えてもらえませんか」
あきれられたと思います。でも、何か熱意が伝わったようで、事業計画作成の指導や金融機関への交渉のアドバイスをしてもらいました。また、松本市の新規開業家賃補助や支援利子補給事業など、まったく知らなかったことを丁寧に紹介してもらったりしました。5月に改装工事をして、6月にプレオープン、7月から営業を再開できました。
―経験はあるけれど
当然経営管理もお店の切り盛りもしたことがなかったのですが、奥さんから帳簿など過去の資料を提供してもらい、損益など勉強できました。
まずは、1人で切り盛りするのでメニューを15種類くらいに半減させました。仕入費や、廃棄リスクの関係などを軽減するだけでなく、オペレーションであたふたしないようにしています。
中澤さんの関係で気にかけてくれたお客さんも多かったので、9月までの約3カ月間赤字にならず、少しほっとしています。まだ心配してもらっていると思うのですが、「サンマとライス」とか、タッパーを持参され「2千円で何か作って」など、常連さん側も何度も通ってもらえるよう工夫されうれしく感じます。
中澤さんの背景に甘えることなく、自分のお店として常連になってもらうよう努力したいです。
―ちょうちん(看板)を守れた
お店の前に店名の入った180㌢くらいの大きなちょうちんがあります。看板を守れて良かったです。
まだまだ不なれなことが多いので、帰宅が深夜になることや、夫に夕飯をお店まで取りにきてもらうことなど、家族に助けてもらっていることにとても感謝しています
これからはメニューを増やし、昔学んだ「飾り細工」を入れた料理を提供できたらいいと思っています。
余裕はないのですが、新しいアイデアも出てきました。ちょうちんなどを受け継ぎ守ることと、オリジナルの新しいことを組み合わせたら楽しいかも、と思うようになってきたので、日々努力していきたいです。
(聞き書き・田中信太郎)

