
「農家は毎年が1年生」。私の農業の師匠が言った言葉です。日照りや、水枯れの心配をしながら、今年も無事に稲刈りが終わりました。塩尻市広丘吉田の田んぼで育てた「自然栽培コシヒカリ小太郎米」は、豊作でした=写真。稲刈りの結果が通知表だとすると「オール5」とはいかないものの、及第点には達したようです。
ですが、です。春起こしをもう少し早くやるべきではなかったか。から始まり、良質な種もみを選別する「塩水選」を厳格にして、駄目な種をふるいにかけるべきではないだろうか。育苗の水管理をもっと慎重にしないなら、代掻(しろか)きをさらに丁寧にするべきだった|など、反省しきりです。
春に反省が集中するのは、「苗八割」という言葉通り、苗さえ作れれば、あとは苗自身と自然が育ててくれるからです。自然栽培は、稲の苗本来の力と土、雨、風、太陽が頼りです。やることをやったら天にお任せするしかないのです。私のような楽天家には最適な栽培方法です。
職業は?の質問の答えとして私の場合は、「農民」「農家」「生産者」のどれもしっくりきません。自己紹介の時に、私は誇りを持って「百姓」と名乗ります。差別語であることは承知しています。私の周りの自然栽培に取り組んでいる若い人たちも、こう名乗り始めています。気分を害される方も多いと思いますが、私は自身の職業を伝える時だけは、この言葉を使いたいのです。
今年の豊作も、「ビギナーズラック」だったと思い、気を抜かずに来年の準備をします。なんたって1年生ですから。