「戦後80年 石井柏亭 えがくよろこび」展―12月7日まで松本市美術館

信州ゆかりの作品など100点

松本市美術館(中央4)で展覧会「戦後80年石井柏亭(はくてい)えがくよろこび」(同館主催、MGプレスなど共催)が開催中だ。日本の近代美術界の重鎮で、松本市に住み信州美術の発展に尽力した画家・石井柏亭(1882~1958年)の初期から晩年までの代表作と、信州ゆかりの作品約100点を紹介している。12月7日まで。
柏亭は日本画家の鼎湖(ていこ)を父に、8人きょうだいの長男として東京で生まれた。弟は彫刻家の鶴三。幼い頃から鼎湖に日本画を学び、10歳で「柏亭」の号で展覧会に出品した。
柏亭が13歳の時に鼎湖が離職し、2年後に急逝。働いて家計を助けながら画家の道を志し、16歳で洋画家・浅井忠の門下生となった。22歳で中央新聞社に入社、挿絵を担当しつつ東京美術学校(現・東京芸術大)に入学したが、23歳で眼病を患い退学、新聞社も辞めた。
困難が続いても美術への志は途絶えず、療養後、太平洋画会や文展で才能を認められ、中央画壇で中心的存在に。美術文芸雑誌「方寸」の創刊や、美術団体「二科会」「一水会」の設立にも携わった。また、文化学院美術部長、東京帝国大(現・東京大)工学部講師などを務め、後進の指導にも注力した。
1945年3月、東京大空襲で東京の自宅やアトリエなどが全焼。63歳の柏亭は松本市浅間温泉へ疎開、以来、ここを拠点に絵筆を動かした。終戦間際の8月には、疎開画家などの油絵展覧会を開くなど後の長野県展の礎を築き、信州美術会の設立にも尽力。76歳で亡くなるまで千点超の作品を残した。

今展は終戦、そして柏亭が疎開してから80年の節目に企画した初の単独作品展。海外で描いた多彩な作品や、疎開後の「画作控」など貴重な資料も紹介し、信州ゆかりの作品群では、美しい自然や住民との触れ合いに心を動かされ描いた様子もうかがえる。
担当学芸員の中澤聡(あき)さんは「(柏亭は)生涯にわたり描くことへの純粋な喜びがあり、それが信州の美術界にも大きな影響を与えた。松本を描いた作品では、風景の移り変わりに思いをはせてもらえれば」と話す。
午前9時~午後5時(入館は4時半)。一般1500円、大学生と70歳以上の松本市民千円。月曜休館(祝日の場合は翌日)。同館TEL0263・39・7400