人間よりはるかに力があり、何より走るのが速い馬は、農耕や移動で古来から人の役に立ち、人は馬と共に暮らしてきた。農機具や交通手段が発達した現代で、馬を飼う人はほとんどいないが、祭りの主役や暮らしのパートナーとして大切にしている人もいる。中信地方で今も馬と生きる人たちを訪ねた。

芦毛の「かぐや」と毎日の“散歩” 安曇野の猿田勘一さん
「過ごす時間」を大切に
安曇野市堀金三田の田畑に囲まれた未舗装の道をのんびりと歩く芦毛の馬。水道設備工事会社を営む猿田勘一さん(75)が飼う15歳の雌「かぐや」だ。無口や手綱を外し、自分のペースで時々、道の草をはみ、少し遅れると駆け足で猿田さんを追いかける。毎日の「散歩」は2~3㌔、約1時間半のコースだ。
「馬はいいぞ。飼わないか?」。横浜市で動物病院を開く幼なじみに勧められた猿田さん。飼う場所も知識もなく、最初は断ったが根負けし2011年、最初の1頭を迎えた。21歳の鹿毛ドビー。競走を引退したせん馬(去勢された雄)だった。
専門家に教えを請うことにし、市内の乗馬クラブ「ホースランド安曇野」(豊科南穂高)の門をたたいて会員になった。そのうちに白い芦毛の馬も飼ってみたくなり、翌年、クラブからかぐやを迎えた。「最初は茶色。白くなるのに6、7年かかった」
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散歩ができるようになるまで、ドビーは5年かかった。22年に死んだが、その背中を見て、かぐやも散歩ができるようになった。
「飼ってるんじゃないよ。『世話をさせていただいている』という気持ち」と猿田さん。「(競馬などは)馬にむちを当て人の言うことをきかせるが、自分はそうではない。かぐやが好きなように生きればいい。その手伝いができれば」。かぐやも猿田さんを信頼し、寄り添うように歩く。まさに〝人馬一体〟だ。
夏は1週間、冬は2~3週間置きにシャンプーで体を洗い、ブラッシングやマッサージは毎日欠かさない。厩舎には寝る場所の他に、約180平方㍍の運動場も造った。餌の干し草もほとんどが自家製だ。
体高158㌢、体重500㌔を超えるパートナーの世話は大変そうだが、「一緒に過ごす時間は楽しい。気持ちが通じ合えば互いに理解できるし、いろいろなことができる」。
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地元の田多井賀茂神社では10年、例大祭で半世紀ぶりに「お練り馬神事」が復活した。猿田さんのドビーとかぐやも神馬として神様や宮司を乗せたが、コロナ禍で中断して以降、神事は再び途絶えた。神馬だけでなく、競馬、乗馬、農耕馬など、馬は古来から乗り物だったり労働力だったり。猿田さんは、そんな人間との関わり方に疑問を呈す。「一番いいのは、ゆっくり暮らせること」。今日もパートナーと散歩に出かける。

田立地区唯一の花馬「第3五宮号」 南木曽の櫻井忠孝さん
「伝統つなぐ」誇らしさ
「花馬の里」と称される南木曽町田立。のどかな山あいの集落で行われる「花馬祭り」は県無形民俗文化財。五宮神社に伝わり、木曽馬3頭が稲穂に見立てた飾りを背負って氏子らと練り歩き、五穀豊穣や家内安全を願う。このうちの1頭「第3五宮号」は、地元の櫻井忠孝さん(83)が神馬として飼育している。第3五宮号は2008年生まれの雄。09年、飼育や繁殖に取り組む木曽町開田高原の観光施設「木曽馬の里」の仲介で、下條村の農家からやって来た。現在は人間の年齢に換算すると60代くらいというが、「通常の木曽馬より体が大きく、やんちゃ坊主」と櫻井さん。
木曽馬は、田立地区でも昭和30年ごろまで各戸で飼われていたが、次第に減って1頭もいなくなった。花馬祭りでは他地区から借りていたが、住民から「伝統を絶やしたくない」という声が高まり、神社と氏子が相談。昭和50年代に神社が木曽馬を神馬として購入し、氏子が飼育することになった。
03年に高齢の前飼育者から2頭を引き継いだ櫻井さんは「退職後は牛を飼おうと思っていたが、神馬が来て大役だと引き受けた」。その後2頭は引退し、第3五宮号が唯一の神馬に。現在、他の2頭は「木曽馬の里」と、隣接する岐阜県中津川市の坂下花馬保存会から借りている。
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今では南木曽町内でも馬を飼うのは櫻井さんだけに。孫の姉弟が世話を手伝い、高校3年生みのりさん(18)は、櫻井さんの不在時にはほとんど代わりをこなした。中学3年生の奏一朗さん(15)は11月、妻籠宿で毎年行われる時代行列で、花嫁を乗せる役目も担う第3五宮号の手綱を初めて引いた。
第3五宮号の愛称は「オッスー」(雄)。姉弟は食欲旺盛な様子や放牧中に駆け回ったり跳ねたりするオッスーに目を細め、「祭りで飾りを付けて歩く姿は華やかで格好いい。皆にも褒められて誇らしい」と口をそろえる。
木曽馬は県の天然記念物にも指定されている。櫻井さんは「地域の大切な馬。伝統を絶やさぬよう、しっかり世話をしていきたい」と力を込める。
【田立の花馬祭り】江戸時代中期に始まり、5色の色紙で稲穂をかたどった竹の棒「花」365本を馬のくらに立てるのが名称の由来。現在は毎年10月の第1日曜に行われ、花馬はJR田立駅から五宮神社までの約2㌔を歩き、到着後に境内を3周回り終えると、人々が一斉に馬に飛び付いて「花」を奪い合う。持ち帰って家の入り口に挿すと疫病神が入らず、田や畑に挿すと虫よけになるとされる。