講演や講座35年超―白馬の96歳民俗・思想史家の田中欣一さん引退へ 後任は93歳の妻・東生さん

「日本はまさに軽佻浮薄の時代」。日本の現状に対する心配を、こんな言葉で何度も表してきた民俗・思想史家の田中欣一さん(96、白馬村神城)。松本市勤労者福祉センター(中央4)で開いている講座「閑吟塾」の講師を3月で退く。
小中学校の教員を退職した60歳から、各地で勉強会や講演会活動を精力的に行った。伝えようとしてきたのは、「日本の大事な精神文化」や、「人間の根源的な営み」と位置づける歩くことの大切さだ。戦争体験者としても実際の戦争の姿を赤裸々に語ってきた。
「まだまだやりたいテーマはある」と言いつつ、自身の考えや思いを語る講座には区切りを付ける。4月以降の閑吟塾は、妻の東生さん(93)が引き継ぐ。

清貧の思想や歩く大切さ説く

「敗戦で満州(現中国東北部)からの引き揚げは大変だった。子どもを置いて帰ってきた人もいるんです」。松本市勤労者福祉センターの大会議室。1月13日、100人近い受講者を前に、田中欣一さんがはっきりした言葉で語りかけた。月1回開く講座「閑吟塾」の一こまだ。
田中さんは終戦直前の1944(昭和19)年、木曽山林学校に通っていた時、学徒動員で線路の枕木交換に従事した体験がある。戦後80年の2025年度は、戦争の実際の姿を伝えることに特に力を入れた。語れる人がいなくなってきたからだ。新聞記事を紹介しながら、自身の体験や見聞きした話を挟む。「戦争とはこういうものです」
閑吟塾を始めたのは2018年4月。信毎賞受賞の翌年、88歳の時だった。初年度は「日本仏教の流れ」。仏教の開祖・釈迦や「西遊記」で知られる僧・玄奘三蔵らを紹介し、仏教が日本文化へ溶け込んだ背景などを解説した。講座で心がけたのは「難しいことを優しく、優しいことを深く、そして楽しく」。
その後は、「生と死」などのテーマで良寛、道元ら僧侶や童話作家宮沢賢治の生き方、思想を語ってきた。
それらを通して、田中さんが伝えようとした柱の一つは「清貧」の思想だ。「日本の精神文化で大切なのは清貧。それがなくなってきた」と指摘する。
田中さんはまた、「歩くこと」の大切さを説いてきた。新潟・長野両県を結ぶ「塩の道」の白馬村―松本市間を歩く催しで、先頭に立った。東海道、「奥の細道」、シルクロード、スペインなどを巡った。「地球を8回りくらい(1周は約4万㌔)歩いたかな」と、淡々と話す。
閑吟塾の講師は3月10日が最後となる。「1年はあっという間。それでも短くは感じない。結構長く仕事ができた」と充実感を口にした。「塩の道を歩く」「新更科紀行」(いずれも信濃毎日新聞社)など多くの著書を出版した田中さん。今後は「書き残したものを本にまとめたい」という。

塾は妻にバトン万葉集テーマに

26年度の閑吟塾は4月7日に開講する。田中さんの妻、東生さんが講師を務め、テーマは「日本古代史と万葉集」。日本列島の成り立ちから天孫降臨神話、推古天皇と聖徳太子、大化の改新などの歴史と絡めながら「万葉集を育んできた文化を考えたい」という。
東生さんは農業の傍ら、源氏物語を学んだ。その後、哲学者で日本文化の本質を探究した故梅原猛さんの書物に没頭し、万葉集を勉強してきた。地域で万葉集についての講義を頼まれたのは80歳になってからだという。
講座は来年3月まで月1回行う。参加費は年間1万4千円(1回ごとは千4百円)。申し込みは3月10日までに、はがきで田中東生さん(〒399―9211白馬村神城25375)へ。