
未経験で挑戦 成長の10年
相撲経験がないまま自分の意思で大相撲の門をたたき、琴宇留賀(後に琴孝玉)のしこ名で約10年土俵に上がった。最高位は序二段13枚目と目標だった関取(十両以上)の座はつかめなかった。その「闘いの記憶」は、土俵生活の全て。強くなるための自分との闘いで、心が鍛えられたという。
松本市で生まれ、3歳の時に同市に本部を置く才能教育研究会のスズキ・メソードでバイオリンを始めた。女鳥羽中では卓球部。囲碁・将棋部だった豊科高(安曇野市)で、卒業後の進路を決める際に「小さい頃から日本の伝統や文化に興味があり、担い手になりたい」と大相撲力士を志望した。体は鍛えていたというが、相撲はおろか格闘技の経験もない高校3年生。「とにかくやってみたかった」
部屋を下調べし、琴欧州(現鳴門親方)と琴奨菊(現秀ノ山親方)の2大関を筆頭に、当時角界屈指の大所帯だった佐渡ケ嶽部屋を見つけた。「力士が大勢いる部屋の方が、いろんなタイプと稽古ができる。環境が整っていると思った」
部屋に電話して稽古を見学し、日を改めて佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)に入門を直談判。「しっかり頑張りなさい」との言葉をもらった18歳は、2012年3月場所で初土俵を踏んだ。「両親も『自分で決めたことだから』と背中を押してくれた。未経験者がスカウトなどではなく、自ら望んで入門したというのはあまり例がないはず」と振り返る。
相撲部屋の生活は、想像以上に厳しかった。四股やすり足、てっぽう、腕立て伏せなど基礎運動を何百回とした後で土俵に上がり、また基本を繰り返す。食事も稽古。入門当時で身長は185㌢あったが、体重は62㌔。「『これ以上食べられない…』を超えて食べた」。それでも、逃げたいとかやめたいとは思わなかったという。「体が大きくなり、勝てるようになると同時に、人間として成長している実感があった」
入門時に心に決めていたことがあった。「10年たって関取になれなかったらやめる」。9年が過ぎた21年、当時の番付は序二段。同年の9月場所を終えた時点で、入門から10年になる翌年2月までの全ての場所で全勝しても、十両に昇進できないと分かり、その場所限りで引退した。
現役時、本場所の休場は一日もなかった。「成績は満足いくものではなかったが、未知の世界に挑戦したことに今も後悔はない」とすがすがしい。引退後は松本に戻り、「故郷に恩返しがしたい」との思いから市議会議員になった。
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取材時に、取組に関する話は出なかった。最後に年齢は一つ上だが、角界入りは3年後輩になる御嶽海(上松町出身)と胸を合わせた時の印象を尋ねた。記者の記憶では、御嶽海が幕内力士として凱旋した16年4月の春巡業松本場所での稽古が、最初で最後だったはずだ。
「胸を貸す立場の御嶽海関は全力ではない。それなのにこれだけ力の差があるのか―と。本場所の真剣勝負で、土俵の外に出すのが想像できなかった」と宇留賀。土俵に埋まっているという地位や名誉、金を掘り起こせるのは、ほんの一握りの強者だけだ。
〈文中敬称略〉
【うるが・ひびき】1993年生まれ。体が小さな入門希望者を対象にした第2新弟子検査を通過し、2012年2月に佐渡ケ嶽部屋に入門、同年3月初土俵。2021年9月場所で引退。国会議員の私設秘書などを経て23年の松本市議選に出馬し初当選。