ピックルボールと二刀流 県内出身者ただ一人のプロテニス選手・唐沢祐輝の挑戦

県内出身者でただ一人のプロテニス選手・唐沢祐輝(41、山形村)は、競技を始めたのが大学のサークルという異色の経歴を持つ。日本テニス協会公認のプロ登録も、不惑を迎えるのと同時だった。近年は新たなラケットスポーツ「ピックルボール」の普及に力を入れるが、選手として高みを目指すこともやめてはいない。「今しかできない」と、二刀流で取り組む。
3月下旬、「県内で初めてでは」というピックルボールの本格的な大会が、県内外の約250人が参加して松本市内で開かれた。主催者の一人でもある唐沢は、目の前で繰り広げられる熱戦を見ながら「国内で急速に競技人口が増えている。多くの可能性がある」。
米国発祥のピックルボールは、テニスや卓球などの要素を組み合わせている。コートの広さはバドミントンと同じで、ネットはテニスより5㌢ほど低い。卓球のラケットより一回り大きい「パドル」と呼ばれるラケットで、テニスボールとほぼ同じ大きさの、穴が開いたプラスチック製のボールを打ち合う。
誰でも簡単にラリーができるようになる上、ゲーム性に富み、勝つためには高度な戦術も必要になる。唐沢はこの新しいスポーツの楽しさと可能性に引かれ、昨年7月に自身のチーム「信州松本レイリー」を設立。当初10人ほどだったメンバーは現在約60人になり、週1、2回、松本市内で練習している。
競技の国際組織は、2032年のブリスベン五輪での採用を目指しているという。唐沢は「大会を開いて認知度を上げ、自分も選手として五輪に出場するのが目標」と力を込める。
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山形小時代は野球、鉢盛中時代は野球とバレーボールをかけ持ちし、松商学園高ではバレー部に入った。ジャンプ力に自信があり、中学時代と同じアタッカー志望だったが、身長167㌢。数カ月で見切りをつけて退部し、その後はソフトテニスをした。
2期生として進学した松本大で、自身を含む未経験者4人でテニスサークルを立ち上げた。翌年に部に昇格し、主将を務めた4年時には部員も50人ほどに。並行して松本市内のスポーツジムでテニスコーチのアルバイトをし、卒業後も続けた。
その後は家庭の事情で家業の農業をしたり、サラリーマンになったりでテニスから離れた。30代になった頃、同市のクラブチームがコーチを探しているのを知り、くすぶっていた思いが再燃。コーチ兼選手として再び競技に戻った。
24年9月、40歳を目前に、県内のアマチュア大会の一つ・県須坂大会の一般男子シングルス(出場19人)で2位に。対戦した多くの若手から「何歳ですか」「動きが若い」と言われた。「この年でも20代と対等に戦える。テニスをしている人たちに夢と勇気を与えたい」と、プロ登録を決意した。
プロといっても、出場している年齢別を中心とした大会は賞金が出ず、コーチ業と副業で生計を立てている。自身の今年初戦は、19日まで山梨県で開かれているITF(国際テニス連盟)主催の国際大会。こうした国内で開かれる国際大会に出場し、世界ランキングを上げて世界選手権などに出場するのが、競技者としての夢だ。
「あと数年は現役を続け、その後はテニスやピックルボールの教室が開けたら」とセカンドキャリアも思い描く。ピックルボールのチームや大会などの問い合わせはメール(spors.kara8@gmail.com)で。