
おいの幸一さんにインタビュー
残された手紙 戦争への疑問も
あなたは知っているだろうか。太平洋戦争末期に特攻して戦死した大学生―。私たちは大学進学後に知った。自分たちと同じ年代で戦死した上原とはどんな人物で、どんな時代を生きていたのか。私たちは上原のおいで、遺品などを管理している上原幸一さん(78、安曇野市穂高有明)を訪ねた。幸一さんは、良司の父・寅太郎と母・与志江に育てられ、3歳の頃から良司や戦争の話をよく聞いていたという。保存している資料も快く見せてくれた。
―上原良司はどういう人物だったのか。
「真面目な性格だったと聞いている。良司を語る人は共通して 『嘘をつかない』『曲がったことが嫌い』と言っており、厳格な父親の影響が強かったと思う。一方で、三男であったこともあり、兄たちよりも自由に育てられ、型にはまらない性格でもあったようだ。『自分が正しいと思うことをしろ』という家の教育方針も関係していただろう」
―両親の話ぶりは?
「2人とも『国のために戦わなくてはいけなかった』と話していた。もちろん戦争はつらかったと思うが、そんな建前を話すことが多かった。特攻についても仕方ないという感じがあった」
―当時の戦争の捉え方はどのようなものだったのか。
「良司の両親の話や良司の書き残した文書を読むと、今やっているワールドカップと同じような感覚だと解釈できるかもしれない。新聞の『勝利』の文字を見て盛り上がっていたらしい。戦争は日常的にあるものだったが、ひどいものという実感はあまりなかったのかもしれない。戦死する恐怖よりも『やっつけてやる』という気持ちの方が大きかったようにも考えられる。これ以前の戦争に日本が勝利していたことも関係していると思う」
―自身は良司についてどう思っているのか。
「同じく戦死した2人の兄(良春、龍男)と比べると、やはり特異だとは思う。兄たちの遺書には、日本人として義務を果たすということが強調されているが、良司は戦争についての疑問も書き残している」
―どのような思いで良司や戦争のことを話しているのか。
「戦争から何十年もたったが、戦死者を追悼してくれる人や忘れない人がいることはありがたい。しかし、自分から積極的に話すようなことではないと考えており、聞かれた場合に話すことにしている。特に良司のことというよりも、戦争がつらかったということを知ってもらいたい」
【メモ】
上原良司(うえはら・りょうじ) 1922(大正11)年、北安曇郡七貴村(現池田町中鵜)に生まれ、現在の安曇野市穂高有明で育った。旧制松本中学から慶応大経済学部に進み、43年に学徒出陣。45年5月11日、陸軍特攻隊員として鹿児島県の知覧基地から出撃し、沖縄・嘉手納湾上の米海軍機動部隊に突入、戦死した。22歳だった。前夜に記した「所感」が知られ、毎年、池田町でしのぶ会が開かれている。
【特攻死した同年代を取材して】
「もう二度と」思い強く
石井七道(人文学部) 「聞かれれば話す」という幸一さんの自然な語りが、戦時中の過度な目的志向、建前まみれの世界観と対照的に感じた。戦時中、人は国家によって価値あるものが何であるかを決められた。特に良司たち特攻兵は、死に物狂いで死にに行くという自己矛盾に耐えなければならない。自らの死をどう価値づけるか。齢20強にして、どう生きるかより、どう死ぬかという問いに向き合わなければならないとは、なんてつらいことだろうか。
良司の日記には、必死にもがき、考え、矛盾に苦しみ、美しくあろうとし、意味を探し求めた軌跡が残っている。私は、特攻は美談にしてはならないと強く思うが、良司の人間的な迷い、不器用さは、それでもやはり美しい、と言いたい。そして、そのような人間を、国のために奉仕する一機械に仕立て上げてしまう戦争は、二度と繰り返してはならないと言いたい。
どうして彼らは死ななければならなかったのか、そう問う営みは続いていく。
やるべき事考え続ける
古田比呂(人文学部) 良司の母は、幸一さんに「つらいことはあったが、きっといいことがやってくる」と話していたという。どんな気持ちで戦死した子どもと自身の経験を幸一さんに話していたのか。
学校で戦争のことを学ぶ時、いつも理解しきれないもどかしさを感じていた。今回、戦争や良司について解像度は高まったが、良司が遺書を書いていた時の葛藤や出撃前日の気持ちは分からないままだ。母の気持ちも。
以前なら、この感覚から「歴史を学んでも理解しきれない」という無力感を感じていた。しかし、幸一さんにインタビューし、残された資料を読み込んだ今回は、理解できないことだからより一層学びたいと思った。「戦争だったから」と一言で片づけてしまわずに、一人一人の葛藤や道徳性とのせめぎ合いを丁寧に見ていきたい。
私は、歴史を学び、教員になるために大学へ進学した。戦争を理解しきれない私が戦争をどう教えるのか、なぜ教えるのか。考え続けていきたい。