
信州歴史フォーラム講演会「江戸時代、松本で銭を造っていた!~発掘により見えてきた寛永通宝松本銭の鋳造」が7月19日、松本市のMウイング(中央1)で開かれた。市文化財課・松本城整備課兼務、文化財専門官の竹内靖長さん(61)が、発掘調査で出土した寛永通宝鋳造関連遺物から、松本で造られた歴史的背景などを話し、約50人が聞いた。
地元の歴史研究者や愛好家の講演会などを開く松本市の「信州フォーラム事務局」主催で49回目。
竹内さんは、1633年に松本城主となった松平直政の代に、松本で寛永通宝が造られていたことを示す鋳造許可状などの史料と、信毎メディアガーデン(中央2)建築に先立ち2015~16年に行った発掘調査で出土した鋳造関連の遺物を紹介。特に砲弾型の坩堝や匣は、寛永通宝鋳造のみに使われる専用の道具と確認されたと説明した。
松本で造られた理由について▽街道が集まる接続インターとして物資と人が集まる信州第一の商都であり、本州内陸部の銭貨流通を促すのに好適地だった▽3代将軍徳川家光が、いとこに当たる直政への優遇措置の一つとして操業を許した―などが挙げられるとした。
また、出土物の鉛を分析したところ、銭の原料の鉛は、国内産と中国産を混ぜて使っていた可能性があるとし、「松本藩領内にも鉛の鉱山があった。苦労して各地から集めたのではないか」などと述べた。