鍋倉山ブナ原生林の記憶・続編-「水」の文字に込めた先人の思い追って

慈しむように「水原林」の文字とブナの幹に触れる弘田さん(右)と渡辺さん

5月下旬、残雪の中で一斉に芽吹いた飯山市の鍋倉山(1289メートル)のブナ原生林。このうち「西の沢」には、100年以上前に当時の村人の手で「水」の一文字が刻まれたと推定されるブナがあった。先人が森の恩恵を知っていた証しとして、37年前の自然観察会でも注目された木が所在不明になっているのを受け、記者ら関係した有志4人が5月27日、確認のため現地に入った。

【記憶をたどりやぶこぎ】 午前8時半、西の沢入り口の駐車場を出発。参加者は、元信州大特任教授で「いいやまブナの森倶楽部」会長の渡辺隆一さん(76、長野市)、当時ブナ林を調査し、地元住民らの自然観察会の講師も務めた弘田之彦さん(67、高知県土佐清水市)、その観察会を取材した記者、そして同倶楽部の案内人で鍋倉山に詳しい写真家の望月良男さん(77、須坂市)。
観察ルートの取り付きは、いきなり木をまたいだりもぐったりと、障害物競争のようなコースをたどる。かつては「森太郎」「森姫」「こぶブナ」などの“スター”が点在した「巨木の谷」の分岐点から、西の沢へ向かうトレース(踏み跡)は、ないに等しい。
行く先をしっかり見定め、自分が進むと決めた所が道だ。低木の枝やネマガリダケにつかまりながら進むが、それでも滑って転ぶ。9時10分、視界が少し開け、残雪が点在する小さな沢に出た。「水」の一文字が刻まれたブナはこの近くか?かすかな記憶では「小さな沢の右上部…」のはずだが、そこには3本の大きなサワグルミがあるだけだった。

【「水原林」と刻んだブナと出合う】 「水」の字を刻んだブナはほかにもあった。上部へ先行した望月さんが、「水原林」と刻まれたブナの前へ案内してくれる。3文字の中で「水」は最も美しく鮮明。「みなもと」の意味があり「源」の原字でもある「原」は、細部を刻んだ際の苦労が伝わる。「林」は読むのが少し難しいが、幹が太くなるのに連れて広がった文字が、長い時の流れを感じさせる。
「壮年の森」と呼ばれる西の沢には、胸高の直径が50センチから1メートル20センチほどのブナが林立する。幹に刻まれた文字を前に弘田さんは「ブナ1本が1反歩(約10アール)の田を潤す。『緑のダム』『自然の水がめ』ともいわれるブナ林は、保水力がすごい」と、37年前の観察会で口にした説明を繰り返した。
こちらも、刻まれてから100年余りたっているだろうか。渡辺さんは「里の田畑を潤す山からの水の恵みに対する感謝と、その水が絶えることがないようにという願いを込め、村人が刻んだ」と言う。
幹に刻まれた文字をじっと見つめていると、命を育む母なるブナの森を仰ぎ、尊崇の念を込めて文字を刻み、山と共に生きた先人たちの思いが伝わってくるような気がした。

【「水」一文字のブナはどこに?】 午後1時。昼食後に「水」の一文字を刻んだブナを捜し回った。弘田さんが教材にし、多くの観察者が訪れたブナだ。この辺りではないか?と思われる沢筋に立つ。思っていたよりも沢が深く、横幅も広がり雰囲気が変わっていた。
今回の捜索のために、郷里の四国から駆け付けた弘田さんは「見つからなかったが、また捜しに来たい」。ようやく春が訪れた北信濃の山奥で、ひっそりと咲く花たちに慰められながら、次回は思い出のブナと再会できることを願い、帰途に就いた。
(丸山祥司)