ジャンボ鶴田にスタン・ハンセン、三沢光晴…。プロレスファンなら誰もが知っている往年の名レスラーだ。レジェンドたちに共通するのが、老舗プロレス団体・全日本プロレスの“至宝”といわれる「三冠ヘビー級王座」のベルトを腰に巻いたことだ。
松本市内田出身で、同団体所属の青柳優馬選手(27)が、この最強王者の系譜に第70代として名前を刻んだ。
高校卒業後、2014年4月に全日本プロレスに入門して約10年。「これで駄目だったら、王者とは縁のない選手と諦めていた」と、背水の陣で臨んだ7月2日のタイトルマッチ。「会場全体が青柳優馬を後押ししてくれた」と振り返る。
今日2日、軽井沢町で開かれる大会で信州に凱旋(がいせん)する。心境などを聞いた。
ブーム再燃へ王者の存在示す
全日本プロレスの「三冠ヘビー級王座」に就いた青柳優馬選手。現在の心境や選手としての展望などを、ベルトを奪取した後楽園ホール(東京都)で聞いた。
ー心境は
(7月2日に永田裕志選手から王座を奪取してから)既に2回の防衛戦(7月22日、8月6日)を行うなど、常にトップ戦線で戦うことができていて、今までにない充実感がある。それと軽井沢大会で、シングルだけではなく、世界タッグ王座(8月19日に3度目の防衛に成功)のタイトルも持って地元で試合ができたらうれしい。
ー7月2日の試合を振り返って
ここ2、3年かけて6度目の挑戦だったので、これで駄目だったら「縁がなかった」と諦めようかと思っていた。プロレスは格闘技にエンターテインメントの要素も交じっている。トップレスラーに選ばれるには、実力に人気など、全てを兼ね備えなければならない。2日の試合はお客さんの雰囲気を含め、全てが自分を後押ししてくれた。
ー往年の名レスラーと肩を並べたことになる
歴史あるベルトに自分の名前が刻まれたことは、恐れ多い気持ちもあるが、自分が積み上げてきたことが実ったと感動もしている。長野県出身のレスラーも増えていて、その中で存在感を示すことができた。
ー入門9年目。苦しかったことは
「もう10年近くたってしまった」という焦りがある。弟(全日本プロレス所属の亮生選手)も含め、下の世代が実力を付け、人気も出てきて、仮に自分が大会を欠場しても大丈夫だと思わせられるようになった。この焦りは入門した頃の全てのつらさを超えるつらさだ。王者になったがゆえのプレッシャーでもある。
ー今のプロレス界をどう思う
最近プロレスは、一部の人間しか知らない、マニアックなものになってしまった。これをアイドルのように、世間に溶け込ませ、ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木さんらがいた頃に起こったプロレスブーム以上のブームを起こしたい。
ーどんなレスラーになりたいか
人気商売。人気が出過ぎて街を歩けないほど、青柳優馬というレスラーが日常に広まってほしい。また、けががつきもので、いつレスラー人生が終わるかという恐怖との戦いでもある。一日一日、一試合一試合、一歩一歩を大切にしたい。僕を見て「レスラーになりたい」と思ってくれる子どもが出てきてくれたら。
ー地元の人に一言
今、自分が王者だということを伝えたい。そしてぜひ、プロレスを見に来て。感動でおなかいっぱい、胸いっぱいにさせてみせます。
【三冠ヘビー級王座】インターナショナルヘビー級、UNヘビー級、PWFヘビー級の3本のベルトを束ねた日本のプロレス史を象徴するタイトル。1989年、故ジャンボ鶴田さんが初代王者に就いた。