能登半島地震「被災地の今」

安曇野市社協のボランティア活動

16日朝9時、総勢13人を乗せたバスは安曇野市社会福祉協議会本所(豊科)を出発、新潟、富山を抜けて石川県に入った。
能登町七尾・穴水の山道は片側通行で、陥没箇所でバスが大きくバウンドする。路肩が崩れ軽自動車が転落していた。大地震の恐怖を実感しつつ、午後4時に能登町宮地地区に着いた。
能登町は桜と椿が真っ盛り。空気の澄んだ美しい場所だった。中信地方の山里に驚くほど似ている。強く思った。「ここの住人は私たちの兄妹、親戚同然だ。できるだけのことをしよう」と。
安曇野市社協は16、17日、ボランティアを募り、能登半島地震の被害を受けた石川県能登町の支援活動を企画。参加した本紙記者が現地の様子を伝える。

無事に見える家も屋内は…

安曇野市社協のボランティアが、活動の拠点としたのは、能登町宮地地区の交流宿泊所「こぶし」だ。長野県社協の山崎博之さん(43)が1月3日から能登町に入り、12回目の滞在中だった。現地のスタッフと調整して、受け入れが実現した。
国や石川県が当初「(態勢が整うまで)ボランティアは来ないでほしい」と発信したのが影響したのか、安曇野市社協が設けた定員18人に対し、応募者は8人だった(プラス職員3人、運転手2人)。現地を訪ねた実感としては、受け入れ態勢に混乱はなかった。
「こぶし」宿泊班と農家民宿班に分かれ、記者は民宿班。ご主人の話が面白く、たちまち1時間が過ぎた。「話を聴き被災者の声を拾うこともボランティア活動」と安曇野市社協の山岸久美子さん(62)から事前に指導を受けていたのだが、こちらが楽しんでしまった。山岸さんは「この企画は赤い羽根共同募金が財源。募金が被災者支援に役立っている」とも話していた。
深夜雨が強く降り、雷で天井が震動した。不安な夜を過ごしたが、翌日は快晴になりひと安心。早朝、外でまたご主人との立ち話が弾んだ。「この先に祭ってある男性器の木像は高さが2メートルほどもある」「松本にも男性器木像があるけど大きい物でも1メートル弱。さすが加賀百万石ですね」。屋内では奥さんが「あら、布団を畳んでくれたの、行儀の良い男性陣ね」。活気に満ちた朝だ。
全員集合し、いよいよ作業へ。依頼された家のごみを軽トラックに積み込むよう指示された。一見無事に見える家も、屋内はめちゃくちゃ。ごみも出る。山崎さんが「あの家に3人行ってください。他の人は柏木地区の集会所へ。徒歩5分です」など、てきぱきと指示を出す。
ボランティア歴の長いベテランは道々、作業のこつなどを伝授してくれた。軽トラは集積所を何往復もしたが、どうしても行列待ちになる。山崎さんは絶えず連絡を取り合って、うまく連携していると思った。後で聞くと、20年以上経験を積んできたそうだ。
参加を迷ったボランティア活動。迷惑になりはしないか、余震で被災するかも|など、心配が多かった。だが、組織がしっかりしているので役に立てて、喜んでもらえている。ペットボトル3本の水と2食分、シーツ2枚と枕カバーを背負って参加して、本当に良かった。
作業がはかどり早めに帰途に就くことになり、予定外の視察もできた。津波被害を受けた白丸地区は悲惨で、言葉を失った。
海辺の道は諏訪湖の湖岸を思わせた。松本近郊に似ている能登町。空き家が増え、進む過疎化も共通だ。日本の美しい地方都市、優しい人たち。夕陽を背に受けた帰りの車中で、涙がこぼれた。