[創商見聞] No.112 OUTFLOW snоwbоards

丁寧に続けた20年

【にしやま・ゆう】49歳、京都市出身。洛北高校卒。2004年4月創業。

OUTFLOW snоwbоards

大町市平9387-1

―京都スノーボーダー
 「カチッ」。初めてビンディングを取り付けた時の音。板の上に固定され、雪の上に初めて立った時、「マジ? こんなにツルツルすんの」「ちょっとこれ難しそうだな」。あの時の感覚は今も忘れられません。
 京都市で生まれ、普通に幼少期を過ごしました。中学1年の時、自宅周辺のサーフショップのショーウインドーにたまたまスノーボードが飾ってありました。それがすごくカラフルな板で、何か分からなかったのですがビビッときて、そのままお店に入って聞いたら―。 
 「スノーボードだ。雪の上を滑る遊び道具だ」と教えてくれて「えーっ、何それ?」となったのが出合いでした。
 京都や兵庫の日本海側には当時、スキー場がまだ多くあり、サーフィンやスケボー好きの大人たちも関心があったので、仲良くなってスノーボードに連れて行ってもらいました。全然滑れなかったのですが、とにかく面白くてのめり込んでいきました。「人生これで生きたい」と13歳から何となく思いました。1989年だったので本当に早い出合いだったと思います。
 ビデオや雑誌を食い入るように見てまねをしました。VHSビデオを擦り切れるほど見たり、当時一つしかなかった専門雑誌を暗記するくらい読んだりしました。
 高校に通い始めても、情報源が本当に細い時代だったので、とにかくお店に日参し、知り合った大人たちについていって滑り続けました。17歳か18歳でショップライダーという形で契約し、サポートしてもらえるようになりました。
 店の企画したツアーに同行し、新作のウエアやボードを着こなし、「お客さんの前で元気に滑ること」が仕事でした。自分のジャンプメークやパフォーマンスに興味を持ってもらえて、うれしかったです。
 競技ライセンスはその後も持たず、フリーライディングという形で自由に山を滑り続けていたのですが、そのうちに雑誌などに取材されるようになりました。
 高校を卒業後、バックカントリーをやる人たちが集まる北海道のニセコに4シーズンいました。山の知識や経験を多く積めました。
 高校時代からのパフォーマンスが認められ、プロのライダーとして取材されるだけでなく、雑誌の広告、ボードやウエアブランドの仕事も契約できるようになってきました。
 山の急斜面を飛沫を上げながら滑ったり、ジャンプしたりしているイメージポスターなど、多くの仕事を受けてきました。
―移住からの決断
 その後に長野県に来ました。大町市のヤナバスキー場などで仕事をしました。高校時代に訪れていたなじみもあり、ライダーたちとジャンプ台を作ったり管理したりもしました。その後、プロライダーとしての撮影活動を中心に国内外の雪山を巡りました。転機となったのは、メインスポンサーだったボードブランドが突如運営をやめてしまった28歳の時です。年齢的にも30代を前にして、これからどうするか悩み始めました。やり続けるのか。そのまま関係企業のメーカーに入るケースもあるようだが―と。
 その時に、小さい規模でいいから、とにかく自分で創業しようと決断しました。しかし、当時プレーヤーがブランドを創るという前例がなく、どうしたらいいか分かりませんでした。大変でしたが、プロライダーをやっていた関係で、メーカーの社長さんたちから多くのサポートを受けられました。全国のいろいろな店や展示会の会場など、一緒に回ってもらいました。
 実際のボード作りですが、自分が関わっていたモデルを何本も作らせてもらったので、ある程度設計の知識はありました。
とはいえ図面に起こすとなると結構大変で、勉強しました。工場の方などが協力してくれたので助かりました。
 また、デザイン関係のアーティストの知り合いも大勢いましたし、高校時代アルバイトで出荷関係や在庫管理の経験もあったので、大きくは困らないだろうと感じ、2004年4月に大町市役所の近くにスノーボードブランドとして「OUTFLOW snоwbоards」を屋号として創業しました。また屋号のバックボーンにオールライトリザーブ(全著作権留保)する「Sоul time studio(ソウルタイムスタジオ)」も立ち上げました。

―丁寧に20年
 最初は二つの型(のボード)をリリースしました。毎年1型ずつ増やして、今は13型ぐらいあります。全部オリジナルの金型です。年に1回のリリースで、例年200本くらい販売しています。個人で販売しているので、多くなり過ぎると出荷作業が大変です。例年リリース本数は同じくらいでやっています。コロナ禍で売り上げが下がったこともありましたが、大きな変動もなく20年続けられました。また、続けたからこそ、価格帯が違うオーダーメードのサイドレーベルも立ち上げられました。
 長くやってきたので、そろそろショールームができたらと思い、以前より小規模企業共済など相談している大町商工会議所に行き、小規模事業者持続化補助金を紹介してもらい、事業計画作成や事業報告について支援を受け、昨年3月に移転しオープンしました。
―まだまだ走りたい 
 創業の直前、本当に多くの人たちから、成功の可能性が「五分五分より低いかも…」と言われ、不安でした。世界的に見ても、有名になったのに10年持たなかったブランドもあるし、ショップがクローズするシーンもたくさん見てきました。
 営業力が大きくあるわけではなかったのですが、20年丁寧にやってきたから続けられたと、家族をはじめ多くのサポートがあったから成し遂げられたと感じています。50代目前となり、この世界にいつまでいられるか分からないですが、あと10年は突っ走りたい、というのが今の思いです。
  (聞き書き・田中信太郎)