
長年、町の人々の暮らしに寄り添ってきた簡易郵便局が一つ、この秋に閉局した。岩垂由紀子さん(75)は51年間、島立簡易郵便局(松本市島立)を運営してきた。
簡易郵便局は、日本郵便株式会社と契約した個人または法人の「受託者」が事業主となり、郵便や貯金、振替などの窓口業務を行う。岩垂さんは1974(昭和49)年に嫁ぎ、受託者だった義母、故廣子さんの「補助者」として従事。85年に受託者を引き継ぎ、ほぼ一人で局を切り盛りした。
平日午前9時から午後4時は必ず局を開けた。3人の子どもの学校行事に参加できなかったり、体調不良を押して窓口に座ったりする日もあった。
仕事を辞め家事や母の介護に専念した夫、子どもたち、友人らに支えられた51年だった。
家族が私を支えてくれた
9月30日。島立簡易郵便局に閉局を惜しむ常連客が次々訪れた。
月に1、2回、入金や小包発送で利用していた中江喜代子さん(84)は「ここがなくなると本当に不都合。岩垂さんと世間話をするのが楽しかった」。近くの会社で販売業に携わる大林崇広さん(40)は仕事の用事で月3回ほど来局。「岩垂さんの笑顔に助けられていた。閉局は寂しい。最高の郵便局だった」と話す。長女の津久井由夏さん(50)、長男の英紀さん(48)、次女の古條愛さん(39)と、孫7人のうち3人も駆け付けた。
島立簡易郵便局は、島立村三ノ宮で簡易郵便局を営んでいた前任者から業務引き継ぎを依頼され、義母の廣子さんが現アルピコ交通上高地線の大庭駅近くに移転開局した、と岩垂さんは聞いている。夫の故武臣さんは「自分の中学時代に開局したと思う」と話していたそうだが、確実な資料はない。
結婚後すぐに簡易局で仕事
岩垂さんは松本市和田出身。親同士がつないだ縁で1974年9月に結婚した。武臣さんは当時、塩尻郵便局(塩尻市大門六番町)に勤務。「簡易局はお嫁さんに継いでほしい」との思いがあった廣子さんが、見初めたという。結婚後すぐ「補助者」として局の仕事に就いた。「お客さんから実の親子でしょと言われるくらい、壁のない嫁姑関係だった」と岩垂さんは笑う。
75年に由夏さん、77年に英紀さんが生まれ、共働きで子育てに励んだ。85年に受託者として局を引き継いだ直後、愛さんを身ごもっていることを知る。産後は廣子さんの助けを得つつ、床上げを待たずに局の仕事に戻った。
幼い愛さんの面倒をよく見たのは、由夏さんと英紀さんだ。学校行事にはほとんど行けず、成長した子どもたちは知らぬ間に進路も自分で決めていた。
88年、廣子さんがアルツハイマー病と診断されると、武臣さんが早期退職し、家事と介護に専念。岩垂さんは簡易局を守り続けた。「夫に感謝している。ただ、子どもたちには手をかけられなかった」とぽつり。由夏さんは「お母さんの働く姿は、率直にすごいと思っていた」と言う。
57歳の頃、自身が脳血管疾患で入院。補助者の資格を持つ由夏さんと愛さんが業務に当たった。7年前に武臣さんが72歳で他界した時も、葬儀は週末にし、平日は局を開けた。この頃に閉局も考えたが「勤続50年の節目までは」と踏ん張った。
この51年で変わったことはたくさんある。ネットや電子マネーが発達し、窓口での振り込みや子どもが局にお年玉を貯金しに来ることは激減した。岩垂さんは窓口に座り、いつも変わらぬ笑顔で客を迎えてきた。
最終日、シャッターを下ろした岩垂さん。「自分のペースで働けたし、お客さんと話をするのが楽しみで。長期旅行は行けなくても、仲間や友達との週末のランチだけで幸せだった。何より家族が私を支えてくれた。やっぱり仕事が好きだったな」。そう話す彼女の表情は、晴れやかで誇らしげだ。