彫刻家・上條俊介作品を朝日美術館に寄贈 松本の仙石鐡也さん宅に保管

松本市のJR松本駅前に立つ播隆上人像や、同市開智2の東筑摩塩尻教育会館にある物くさ太郎など、多くの作品を残した朝日村出身の彫刻家、上條俊介(1899~1980年)。彼の作った石こう像が、同村古見の朝日美術館に寄贈された。寄贈者は松本市中山の仙石鐡也さん(90)。長らく自宅に保管されていた。同館学芸員によると「新発見で、大変貴重」。同館は改修工事中で、来年夏に開く上條関連の展示会で、お披露目する予定だ。
仙石さんによると、父の故・丑八(うしはち)さんは、旧制松本中学(現松本深志高校)で上條の1年後輩。譲り受けた経緯などは聞いておらず、なぜ個人宅に作品があったかは謎だ。キーパーソンとなりそうな丑八さんの同級生「關(せき)秀一」さんについて分かれば謎解明につながるのではと、情報を求めている。

なぜ個人宅に 胸像の謎深まる

仙石鐡也さんによると、石こう像は床の間の隅で袋に入り、ほこりをかぶって置かれていて、子どもの頃から「大事な物だから触るなよ」と言われていた。詳しい話を聞いたことはなかったが、父丑八さんの死後、上條が朝日村の出身なので「生まれた場所に帰るのが良いのでは。(真贋も含め)いつか朝日美術館で見てもらおう」と考えていたという。
今年7月、障子の張り替えを頼んだ業者が朝日村だったことから話が動いた。美術館との橋渡しをしてもらい、8月に同館学芸員が仙石さん宅を訪問。上條の作品と判明し、寄贈が決まった。
胸像は、仙石さんの依頼で学芸員が「女おんな胸像きょうぞう」と命名。仙石さんは「家にあるより、『仲間』のいる美術館に行って、いろんな人に見てもらえれば」と笑顔を見せた。
同館は「上條俊介記念館」を兼ねており、多数の作品を収蔵。上條に関する勉強会を開いたり、足跡や作品をまとめた本を出版したりしてきた。
胸像には「大正15年11月」と刻まれている。学芸員の丸山真由美さん(52)によると、1926(大正15)年の第1回聖徳太子奉賛展の入選作「習作〈女の首〉」、同年の帝国美術院展入選作の「夕陽」と面影がよく似ており、「同じモデルでは」とみる。上條が東京で暮らした時代の初期に当たり、「作品があまり残っていない時期で、とても貴重」という。
個人が長年保管していた割に傷んでおらず「きちんと残っているのが不思議」と、思いがけない作品出現に喜ぶが、記録にない作品がどのような経緯で個人宅にあったのか、謎は深まる。
もう一つの謎は、中学時代に丑八さんの同級生だったが飛び級で卒業し、東京帝国大へ進学したという關秀一さんという人物。今回の寄贈品には胸像の他に、上條の入選を喜び、關さんが丑八さんへ送った上條作品の絵はがきや、關さんが上條から送られた絵はがきを丑八さんに譲った物もあり、深いつながりを感じさせる。
丑八さんは、上條について「尚志社同人」と書き残している。尚志社は松本中の寄宿舎なので、3人が寝食を共にしたことも考えられる。また1920(大正9)年創刊の旧制松本高校(信州大の前身)「校友会雑誌」の初代編集長に「関秀一」の記録があり、同一人物の可能性もあるが、いずれも推測の域を出ない。か
仙石さん宅には關さんの書の掛け軸がある。その由来を含め、仙石さん夫妻も何か手がかりをつかもうと近隣の人に尋ねてみたが、情報は得られなかった。丸山さんは「關さんについて分かれば、胸像の謎の解明につながるかもしれない。何か情報がある人は連絡してほしい」としている。問い合わせなどは村中央公民館TEL0263・99・2004

【プロフィル】かみじょう・しゅんすけ 1899(明治32)年朝日村生まれ。旧制松本中学を卒業し、1919(大正8)年早稲田大へ進学。彫刻家の北村西望に師事する。24年、帝国美術院展覧会に初入選。以後帝展、新文展などに出品。「物くさ太郎」「播隆上人」などが知られる。80年、81歳で没。