【闘いの、記憶】スピードスケートで五輪3大会出場 外ノ池(現姓・森田)亜希さん(46、茅野市)

悔しさしかない米国の冬

アルピコ(松本市)のスケート部に所属し、スピード女子2種目で1998年の長野から3大会連続で冬季五輪に出場した。父の信平さん(76)と親子鷹で世界に挑んだスケーターの「闘いの記憶」は、メダル獲得を期待された2002年ソルトレークシティー五輪1000㍍のレース。当時の日本記録を更新する最高の滑りだったが、夢に届かず「悔しさしか残らなかった」という。
男子500㍍2回目、最終組に登場した清水宏保(51)がトップタイムでゴールし、金メダル確定の瞬間に両手を突き上げた姿は、長野五輪を象徴するシーンの一つだ。
同大会に18歳で初出場し、1500㍍で16位だった外ノ池は、会場のエムウェーブ(長野市)で清水の雄姿と熱狂する観客を目の当たりにした。「鳥肌が立つくらいの感動」に震えると同時に「五輪に出てもメダルを取らないと意味がない」と思ったという。
2年後にソルトレークシティー五輪を控えた00年12月、長野市で開かれたワールドカップ(W杯)1000㍍で初優勝。実力と自信を兼ね備えてメダル獲得に挑んだ2度目の五輪は2種目に出場し、「懸けていた」1000㍍は、それまで何度も対戦したザビーネ・フェルカー(ドイツ)と同走だった。
「最初から飛ばしたことしか記憶にない。同走者に負けた瞬間から(入賞も日本記録更新も)喜んだ覚えがない」。フェルカーは銀メダル、7位の外ノ池は1分14秒64で、銅メダルとは0・4秒差。「やるだけのことをやり、いい調整ができたと思っていたが、外国の選手はそれ以上だった」と今も悔しさをにじませ、「どうやったらメダルに手が届くか、分からなくなった」。

辰野町出身。選手だった信平さんの影響で小学生の頃はバレーボールに打ち込み、スケートは冬場のトレーニング。娘の才能を見いだした父が中学生でスケートに専念させ、自らコーチに。スケートは門外漢だった父は、海外選手の滑りを毎晩ビデオで見るなど、とにかく研究していたという。選手とコーチ、娘と父。常に一緒の生活に安らぎはなく、娘は「怖くて逆らえなかった。毎日張り詰めていた」と明かす。
ソルトレーク五輪後の大スランプから脱し、出場した06年トリノ五輪は1000㍍17位。大会後にアルピコスケート部の廃部が決まり、環境は厳しくなったが「もう1シーズンだけ」と同年の国内開幕戦に挑み、W杯の出場権を獲得した。ここで突然、ある思いがこみ上げた。「もうやりきった」。その思いを恐る恐る伝えると、信平さんは「もう終わりにしてもいいね」。10年以上続いた選手とコーチの関係から、普通の親子に戻った瞬間だった。
「すがすがしく引退できた」と娘。「父がいなかったら3度の五輪出場はなかった」と、今は感謝の気持ちしかない。

ミラノ・コルティナ冬季五輪も終盤になり、日本時間の21日未明には、1500㍍にメダル候補の高木美帆が出場する。「どう見るか?」と尋ねると「長年トップレベルを保ち、心身とも極限状態にあるのでは」と高木の状況を推し量り、「応援はしているが、無事に滑り終えてほしい」。その胸中は、同じ世界を経験した者にしか分からない。(文中敬称略)

とのいけ・あき 1979年生まれ。中学3年時に全国大会1500㍍と3000㍍の2冠。東海大三高(現東海大諏訪高)では全国総体1000㍍と1500㍍で計4勝。W杯は500㍍1勝、1000㍍2勝。2001、02年全日本スプリント総合2連覇。現在は茅野市でトレーニングジムを営み、夫と3人の子どもと暮らす。