【小林千寿・碁縁旅人】#43 ハワイ

今年の冬は一段と寒く、ハワイが懐かしいです。
私の最初の海外旅行は1974年1月のハワイ。プロ棋士になったばかりで、先輩棋士20人ほどとの団体旅行でした。
当時の為替はまだ1ドル=約300円で、1週間の旅費は20万円くらいだったと思います。ホテルではなくコンドミニアムに泊まり、キッチンの冷蔵庫に最初からアメリカの食材が入っていて、それで朝食を作るのは新鮮でした。
その数年後、三遊亭門下と落語と囲碁をハワイで楽しむ「楽碁ツアー」に囲碁の先生として同行。
82年には歴史あるハワイ棋院創立40周年記念を祝うためにハワイ島のヒロを訪問。ハワイ棋院は元々は日系の囲碁ファンが創設した組織です。
日本経済が豊かになるとタイトル戦の海外対局も盛んになり、88年には囲碁の一番大きなタイトル「棋聖戦」七番勝負で小林光一・棋聖に加藤正夫・名人が挑戦した際に同行。その時、対局者はハワイの正装であるアロハを着て打ったのですが、映像を観(み)た日本の囲碁ファンから「軽装すぎる」とお小言もありました。
その後の97年、趙治勲・棋聖に弟の小林覚九段が挑戦。ハワイ対局のお膳立ても手伝っていたので現地のハワイ囲碁関係者には、当然私も来るものと思われたのですが、主催の読売新聞社から「家族がタイトル戦に同行するのは好ましくない。来ても顔を出すな!」とのことで同行を断念しました。
話は前後しますが、91年には、初の女流海外対局となった女流選手権戦(現在の女流本因坊戦)の挑戦者として訪問しました。ところが対局中にゴザを持った水着姿の白人が対局場に乱入。皆、唖然(あぜん)として固まったまま。仕方なく英語ができる私が席を立ち、その人を外に誘導。その後も対局室までハワイアンの音楽がよく聴こえ、落ち着けず負けてしまったのが残念です。
最後にハワイに行ったのは2019年1月の今頃です。真冬でもTシャツ1枚で過ごせるハワイが恋しいです!
(日本棋院・棋士六段、松本市出身)