傘寿過ぎても滑り楽しむ-元スキー指導員・矢沢日出子さん

松本市女鳥羽の矢沢(旧姓鈴木)日出子さん(81)は、「オーストリア国家検定スキー指導員」の資格を取得した日本で初めての女性スキーヤーだ。2年前に埼玉県から、北アルプスを望む松本市に移住し、傘寿を過ぎても滑りを楽しんでいる。スキーとともに歩んできた半生を振り返ってもらった。

スキー歴は76年縁あった松本へ

矢沢さんは長野県に親戚や知人が多く、幼少時から年間を通じて訪れており、戦時中は穂高町(現安曇野市穂高)に疎開したことも。松本市と姉妹提携を結ぶスイス・グリンデルワルト村との交流の際に通訳を務めるなどの縁があり、2021年、同市に移り住んだ。
現在も白馬や乗鞍などで毎年スキーを楽しみ、スキー歴は76年。これまでの半生を振り返り、「何が何でもスキー一本というわけではなかった」というが、スキーと縁が切れることはなく、「周りの人たちの導きで、やりたいことをさせてもらえてここまできた」と感慨深げだ。
スキーの魅力について、「スキーをしなければ見られない山の上からの景色の素晴らしさと、滑り降りる時の爽快感」と力を込める矢沢さん。
スキーはゆっくり滑る方が難しく、どんなコースでも降りてこられる技術が、オーストリアスキーの基礎だという。「基本的な滑り方を身に付ければあとは上手、下手ではなく、楽しむのが大切」と考え、年齢に関係なく、生涯スポーツとしてスキーを勧める。

オーストリアで理論と実技習得

東京生まれ。山好きだった両親に連れられ5歳の時、志賀高原でスキーデビュー。幼い頃は体が弱かったが、毎年、家族でスキーをしに長野県に来ているうちに体も丈夫に。中学生の頃には本格的に競技スキーを始めた。
所属していたスキークラブが白馬村などで開いた合宿などに参加して、技術はトップレベルに。高校時代はアルペン選手としてインターハイに出場し、回転競技で3年連続入賞。国体には女性初の東京都代表として出場、新聞に取り上げられるなど注目を集めた。
高校卒業後の1962年、全日本スキー連盟の役員だった父親のつてで、同じくスキー選手だった妹とともにオーストリアのチロル州にスキー留学をした。同国のスキー連盟が受け入れ、現地のトップ選手たちと一緒に練習し、欧州各地の大会に遠征した。
その2年後、オーストリアの本場のスキー術を理論と実技で習得し、指導者になる道を選んだ。国立スポーツ学校のスキー部門に入学を許可され2年間学び、66年に日本人女性として初めて「オーストリア国家検定スキー指導員」の資格を取得した。
その後は、日本とオーストリアを往来。両国のスキー連盟の交流や、72年の札幌五輪でオーストリアチームの通訳をするなど架け橋となった。航空会社に勤めながら、冬はスキー教師として各地で指導。皇室の方々がスキーをされる際に、先導したこともあった。
またインタースキー(世界スキー指導者会議)の活動に携わったり、スイスと日本の社会人交流大会の運営をしたりと活躍。中信地区の高校教諭を対象にしたスキー講習会でも講師を務めた。矢沢さんのオーストリア国家検定スキー指導員の認定書やバッジなどは、白馬村北城の「白馬・山とスキーの総合資料館」に収められている。
スキー人口は現在、ピーク時より大幅に減っているが、「長野の雪質はとてもいい。こんなにいい条件があるのに滑らないのはもったいない」ときっぱり。「オーストリアの人は仕事や学校から帰ってきたら板を持って山へ遊びに行く。日帰りでスキー場に行ける長野の人は、もっとスキーに親しんでほしい」と願っている。