信大・思誠寮OB「こまくさ会」 寮歌と杯口にし旧交温め40年

青春の歌伝統受け継がれ

旧制松本高等学校寮歌祭を受け継ぐ「松高・信大寮歌祭」が毎年、松本市あがたの森文化会館で開かれるが、それとは別に信大・思誠寮OBでつくる「こまくさ会」が40年にわたり、市内の旅館で旧交を温めている。今年は寮歌祭と同じ5月18日、全国から26人が浅間温泉の老舗旅館「目の湯」に集った。
会員は寮OB約80人。70~80歳代が中心のため、近年の参加は30人程度だが、会えば全員で寮歌を歌い、杯を手に友情を確認し合う。
当初は別の旅館が会場だったが、活気が過ぎて出入り禁止になった過去がある。移った先が「目の湯」。主人の中野純一さん(74)は「バンカラな青春の思い出と仲間を大切にしているのは素晴らしい」と歓迎。今年は寮歌の輪にも加わり、感激に浸った。

活気が過ぎて“出禁”過去も

「こまくさ会」発足は1983(昭和58)年。大阪市内の会社に勤めていた思誠寮OBの石田靖郎(やすお)さん(79)が、松本市に転勤になり、OB仲間に「青春の地でまた一杯やろう」と呼びかけた。同年秋、約40人が市内の旅館で再会。「来年も」の声が上がり、毎秋開催が恒例化した。
「寮といえば酒と歌」(石田さん)というくらい、毎年杯を交わし、寮歌を歌った。「君は寮で酒に酔い、その勢いで松本城の石垣を登ったよな」「堀にも飛び込んで、えらく叱られた」。武勇伝が爆笑を誘った。
しかし97年、全員で足を踏み鳴らし寮歌を歌ったところ、旅館から「他のお客さんに迷惑」と、以降の予約を拒否されてしまった。
「どうぞ当館に」と迎えたのが「目の湯」だった。松高時代から学生が通った宿。古くは芸者を呼んで大騒ぎし、泊まって翌朝はそこから登校した猛者もいた。8代目主人の中野純一さんは「うちは松高生や信大生に愛していただいたので大歓迎でした」と話す。
「こまくさ会」の日は全館貸し切りで、存分に騒いでもらう。酒量に驚かされた。「ビール40本と地酒の1升瓶4本を用意したが足りず、翌朝も『ビール出して』。こんな団体客は他にいません」
年を経ても変わらぬ友情を中野さんは憧れの目で見てきた。感動ももらった。寮歌「春(はる)寂寥(せきりょう)」を聞いた時だ。
会を締める一曲。明かりを消し、毎回全員で肩を組んで歌う。「ある年、廊下でふすま越しに『春寂寥』を耳にしました。談笑は一切封印。魂を込めて歌っていました。神聖な響きから固い絆を感じました」
今年は最高齢、松本市の千葉和夫さん(84)を筆頭に、会員26人が意気高く「目の湯」に乗り込んだ。うち22人はあがたの森の「松高・信大寮歌祭」から続けて参加した。
長年世話になっている中野さんに謝意を示そうと、開会直後の寮歌の輪に招いた。中野さんは「自分の青春時代がよみがえり、感無量でした」と喜んだ。

名曲「春寂寥」令和の寮生も

「今晩も太鼓に合わせて『春寂寥』を歌おう。もう歌詞を覚えたかな」。4月上旬の思誠寮で、寮生活3、4年目の寮生が、10人の新入り寮生を集め6日間、寮歌を教えた。春の恒例行事だ。時間は各日15~30分程度だが、新入り寮生たちは真剣だった。
松高開校や思誠寮開寮と同じ1920(大正9)年にできた「春寂寥」。名曲だが、歌詞も旋律も難しい。正しく歌えないと「もう1回歌うぞ。さあ肩を組んで、もっと大声で」と号令が飛ぶ。11月の寮祭では、一糸乱れず全員が歌えるようになるという。
寮歌を教えた三田空河(くうが)さん(20、理学部3年)は「大声で歌うと気分がいい上、新旧の寮生が顔と名前を覚え合う場にもなっています」と語る。
令和の寮生は「こまくさ会」など年長のOBとの交流がほとんどない。酒宴も「たまにみんなで飲んでも、ほどほど」(三田さん)だ。だが、1世紀を超える寮の歴史と寮歌の継承への意識は高い。三田さんは言う。「伝統を感じ、寮歌を受け継いでいます。『春寂寥』は誰にとっても生涯忘れない青春の歌になると思います」

【思誠寮】
松本市横田3にある信州大の男子学生寮。現在約40人の信大生が暮らす。旧制松本高等学校開学と同じ1920(大正9)年、校舎隣接地で開寮。83(昭和58)年、現在地に移転した。当初から自治を重んじ、原則、寮生のみで寮を運営する。作家の北杜夫氏もOB。著書「どくとるマンボウ青春記」で寮生活の様子を描いている。