[創商見聞] No.9 山﨑 悟(山崎商店 代表)

ジビエを広め地域の宝に

―創業のきっかけは。
 以前勤めていた飲食店でジビエを扱い、鹿肉のおいしさに目覚めました。「こんなにおいしいのに、害獣として駆除され、ただ捨てられてしまってはもったいない。このおいしさを広め、地域の宝にしたい」と考えました。 
 自分の施設を造る夢はありましたが、実現できないまま、知り合いの施設を借りて食肉加工して卸すということを続けていました。そんな中、商工会議所に相談すると、「夢があるなら自分で創業するべきだ」と担当者に叱られ、「その通りだな」と自分の中途半端さに気付かされ、踏ん切りがつきました。そこから計画書の書き方を教わったり、物件探しをしたりして、創業に向かって準備を始めました。
―創業で苦労した点は。
 場所が決まるまでが本当に大変でした。ジビエの食肉加工施設は、▽街中や住宅街では造れない▽山の上でやるなら上水がなければならない-など、さまざまな規定があります。またジビエの県のガイドラインで、射止めてから1時間以内に加工施設に運ばないといけないというルールもあり、6年間で30カ所以上探しましたが、だめでした。
 最終的に行き着いたのが現在の祖父の土地です。祖父はすでに他界していたので、名義変更には11人の親戚の承諾が必要でした。皆さん快諾してくれたので良かったですが、土地探しは最も苦しく、挫折しそうになりましたね。周囲の支えでなんとか乗り切りました。
―販路の開拓は。
 もともと前職は全く違う職種で、営業の「え」の字も知らない。何から手を付けていいのか分からず、本を読んで勉強しましたが、「営業はまずこう言え」と書いてあったり、「営業はしゃべるな」と書いてあったりで、頭を抱えました。ある飲食店に営業に行き、店の前で朝9時から待って、そのまま夜になってしまったこともありました。
 話ができても全く相手にされない日々が続きましたが、そんな時にたまたま入った喫茶店で、マスターにジビエの背景を説明していて、はっと気付きました。「ジビエを取り巻く事情も知らず、誰が買うんだ」と。そこからは肉を売ろうとするのをやめ、有効活用されずに捨てられてしまうジビエの背景を説明することにしました。すると、皆さん話を聞いてくれるようになりました。
 まずサンプルを渡して実際に使ってもらい、ちょっとずつ注文が増えていきました。最初のころは一軒一軒足で営業しましたが、今ではオーナーさんが別の飲食店のオーナーさんに紹介してくれ、販路拡大につながっています。
―現在の課題は。
 需要と供給のバランスです。野生のものなので、欲しい時に手に入るとは限らない。しかも鹿は家畜と違って、肉が取れるのは全体の25%程度で、その中でも特にいいロースだと、4%しか取れません。飲食店の皆さんには心苦しいですが、供給量を調節させてもらうこともあります。今後は安定供給の道も探っていきたいです。
 ただその分、肉に関しては自信を持って納入しています。施設を造る前には、猟友会の各支部長のお宅に伺ったり、会合に出て顔を覚えてもらったりして関係を築きました。「自分が納得し、説明できないようなものは扱えない」と話しているので、鹿を運ぶ時には皆さん丁寧に扱ってくれます。
 また、食肉加工に関しては修業先の師匠がものすごい技術を持っていたので、自分もこれを目指そうと励みました。南信だったので、朝4時に松本を出て、夜は9時に終えて帰宅するという生活を約4年間、ほぼ毎日続けました。師匠は加工施設を持ちながら割烹(かっぽう)の店をやっていたので、どう食肉加工したら料理しやすいか熟知していました。自分も和洋中と料理によって使いやすい精肉を心掛けています。
―今後の事業展開は。
 皮も有効活用していきたいと考えています。手始めに松本市内のオーダーメードバッグのお店でかばんを作ってもらいました。鹿革は牛と比べて柔らかいのが特徴で、そこをどう生かすかが今後の課題です。また鹿は自然の中で生きているので、どうしても傷ができてしまいますが、その分、革の存在感も強い。唯一無二のものとして楽しんでもらえるような工夫をしていきたいです。
 将来的には、もっと多くの鹿革の製品ができたらおもしろいなと思っています。商工会議所に相談したら、帽子を作る作家さんを教えてくれて、さらにその方が靴屋さんを紹介してくれたので、今は両方と話を進めています。
―創業を考えている人に向けてメッセージを。
 自分で限界をつくらずに進んでほしいです。振り返ると施設を造るまでには紆余(うよ)曲折がありましたが、無理だとは思わずに一つ一つクリアしてきました。場所が決まった後も、土地を整地するのに自分で下草を刈ったり、チェーンソーで木を切ったり、開業に必要なたくさんの許可を取ったり…。自分もそうでしたが、できない分野があれば、人に甘えればいい。周囲の皆さんがきっと力を貸してくれます。
 加工施設を造ってからまだ1年ですが、今後は地元を活性化するためにも、わずかでも流通や雇用を生み出すことが目標です。鹿1頭からできることは、無限に枝分かれしていくと思っています。鹿のおかげでたくさんの出会いがあったので、いつか何かと結び付いて、枝にたくさんの実を付けていきたいです。

【やまざき・さとる】 山崎商店 代表
松本市出身 42歳
高校卒業後、松本市内の建設会社に就職。退職後に働いた飲食店でジビエに出合い、平成24年から卸業を開始。平成28年4月に自身の加工施設を造り稼働。ジビエの解体、精肉、流通に関し、現在は県内外から多数の視察が訪れている。