春の鼓動光の五線譜 残雪の八方尾根

【モルゲンロート光彩】朝焼けに染まる早春の白馬三山(右から白馬岳、杓子岳、白馬鑓ケ岳)。荘厳神秘な雰囲気を漂わせ新しい朝が訪れる。手前は「八大竜王」の碑=3月25日、午前5時48分

深い残雪に覆われた姿で春を迎える北アルプス・八方尾根。3月下旬、地吹雪が時折襲う荒天の中、第3ケルン(2080メートル)まで2回登った。未明に出発し、八方尾根の目覚めるかすかな鼓動を聞きながら、早春のアルプスを舞台にした“光の五線譜”をカメラで切り撮った。
3月20日午前3時外の明るさが気になり八方池山荘(1830メートル)の外に出た。さえる十三夜の月明かりに照らされ、残雪の白馬連山が幽玄神秘な風情を漂わせ、星空に雪稜(りょう)を浮かび上がらせている。気温は氷点下5度。この時期としては暖かい。
午前3時半冬山装備の身支度をして出発した。モルゲンロート(朝焼け)に染まる山並みを撮影しようと向かう目的地は、八方池上部の稜線にある第3ケルン。月明かりが雪のトレースを青白く浮かび上がらせ薄暗い夜空へと延びている。一歩一歩確かな足どりで急斜面の高度を上げていく。
午前4時8分1974メートルの石神井ケルン(八方山ケルン)に到着。北西の風が強くなってきた。飛ばされないようピッケルを握る手に力が入る。12本爪のアイゼンが、締まった雪と氷の肌をしっかり捉えて心地よい。
八方ケルン(2035メートル)への登りにかかる。さらに風は強くなり、耳元でほえた。舞い上がる地吹雪が波状的に襲い、小さな氷の粒が顔に当たって痛い。荒れ狂う雪上と、仰ぐ星空の静けさの対比がなぜか奇妙な光景で不思議だ。

午前4時37分月が沈むと辺りが急に暗くなった。到着した八方ケルンの風下(南側)で強風を避け、日の出の時刻を待った。
薄明の空遠く、松本方面の夜景が温かく映る。東南東の空低く昇った金星がひときわ明るい。天空から地上へと光の降下が始まり、夜明けの時を迎えた。突然、視界を遮る激しい地吹雪が襲来。渦を巻き、雪煙を上げて通り過ぎる光景にビバルディの協奏曲「四季」の「冬」が脳裏で重なった。
八方尾根は超塩基性の蛇紋岩の影響で八方池の上部まで樹木がほとんど見当たらない。強風は“八方名物”だが、この朝は厳冬期の身を切るような過酷な冷たさはない。地吹雪が八方の春を呼んでいるのに気付いた。
午前5時40分次第に強風も収まり、モルゲンロートの朝を迎えた。眼前に、難易度の高いルートで知られる「不帰ノ嶮(かえらずのけん)」が迫り、右手には、白馬三山が存在感を誇示して鎮座する。左には五竜岳から鹿島槍ケ岳への凄絶(せいぜつ)な雪稜が続く。朝焼けに染まるまほろばの国の荘厳壮麗な山並みに向かい、思わず手を合わせた。
春の日が徐々に濃くなると、雪上の夢ステージがあちこちに現れた。足元への強風が創り出すシュカブラ(風紋)の繊細な造形美に目を奪われる。波模様やクレーター状、地層状など風の方向や地形で微妙に違い、形もさまざまだ。陽春に輝く大自然の「シュカブラ美術館」に見とれていると、春の目覚めを告げるノックの音が聞こえてくるようだ。
残雪の八方尾根で、生まれたての数々の小さな春と出合った。夏の日差しを夢見て、深い雪の中で眠る高山植物の寝息が聞こえたような気がした。

(丸山祥司)


投稿者: mgpress