【小林千寿・碁縁旅人】#26 私が出会った難民・避難民・亡命者

ジュネーブの中学校の囲碁部で指導する著者(中央奥)

この2カ月のロシアのウクライナ侵攻で家を破壊され、故郷を後にした多数の人々が、「避難民」として身を寄せる地を探し求めています。残念なことに人間の長い歴史を振り返れば、このようなことは繰り返されています。
しかしコロナ禍で世界が疲弊し、ましてや現代のネット情報時代に突然このような事態を迎えるとは、多くの人は推測できなかったと思います。日々の耐え難いニュースを聞きながら、避難民の今後に思いを巡らせました。
その中で、いろいろな立場で故郷を後にした人々を思い出しました。1980年、アメリカ・ロサンジェルスで「私は『ボートピープル』としてアメリカに辿(たど)り着きました」と伝えてくれた爽やかな笑顔のベトナム人の青年。96年に囲碁留学生として預かった少年は、正月休みに「私は10歳の頃に両親と東ドイツから夜中に国境の川を渡り、西ドイツに亡命しました」と。その青年は今ドイツで弁護士になり頑張っています。
また2005年ごろ、スイス・ジュネーブに住み日本総領事館の文化広報会館に囲碁講座を設立、地元の学校で囲碁指導していた時のこと。講座に参加したチベット人の親子との出会いを機に、スイスのチベット難民受け入れの実態を知りました。
旧ユーゴスラビアの分裂寸前にスイスの親戚を頼って綱渡りで脱出した青年と家族もいました。中立国のスイスに亡命者として受け入れてもらえれば理想でしょう。しかし物価が高いスイスで経済基盤を築くのは大変だったはずです。
急なロシア侵攻と先が見えない状況で避難民になってしまったウクライナの人々は、これから宗教、習慣、言葉も違う国々で生き抜く必要があります。私個人で、できることは僅(わず)かですが、やれることはあるはずです。一日も早い平和な日々を願いつつ小さなサポートを続けていくつもりです。(日本棋院・棋士六段、松本市出身)