[創商見聞] No.96 「A&A構造研究所」 (新井 さやか)

自分で全て決める難しさ

【アライ・サヤカ】43歳、松本市里山辺出身。東京経済大コミュニケーション学科卒。神奈川県のリフォーム会社で人事関連の業務などに携わった後、2018年入社、20年8月代表取締役社長就任。

A&A構造研究所

松本市白板2-3-40 ☎0263-33-7769

―自分に備わっていたコミュ力
 5人姉妹の長女です。三女と一級建築士の五女と自分の3人が現在会社に勤めています。他に大阪の構造事務所で働く四女、そして看護師をしている次女がいます。
 特にリーダーシップのような教育を受けてきたわけではないのですが、「責任」は長女とし
て自然に植え付けられてきたと感じます。
 社名の通り、建物の構造設計や耐震診断が主な業務です。現在は総合設計も受けています。 1983(昭和58)年の2歳の時、松本市里山辺にあった自宅近くのアパートで父が設計事務所を立ち上げてから、おかげさまで41年やってきました。
 両親は子どもたちがやりたいことを応援してくれたので、出版関係の仕事に就きたい希望をかなえるためにマスコミ関係の学部がある大学に進学しました。マスコミ関連のゼミなど積極的に受けていました。そのため、当時は父の仕事に対して何も考えていませんでした。
 そんなとき、大手飲食店で4年間アルバイトをして、全国接客コンテストでチーム特別賞を受賞しました。その経験が分岐点だったのかもしれません。誰かとコミュニケーションを取りながら仕事をするのが向いていると感じました。せっかくなら父の仕事に少し近い方が良いかもと思い、神奈川県にあるリフォーム会社に就職しました。
 リフォームプランナーを9年経験し、その後、人事部人材開発課を5年担当しました。採用・育成の仕事がメインでしたが、経営に近い部署だったので今につながっています。
 異動した当初、社員の定着率が課題でした。採用手法や面接を見直し、入社後の現場サポートと階層ごとの社内研修を新たに実施しました。最終的に社員数を250人から350人に増やすことができました。
 仕事の熱量は変わらず続けていたのですが、父の会社も組織化されていたため、30代になると、「いつ帰ってくるの」と言われ始めました。
―帰郷してからのやりがい 
 2018年帰郷し、父の会社に入社しました。前職を恋しくも感じましたが、できることは山のようにあり、やりがいがありました。
 入社して最初の印象は、「仕事が人に付いている」と思いました。誰かが対応できなくなると一気にこなせなくなる可能性がある。この規模の会社ではどこまで個人裁量に任せ、どこから組織的に運用するのが最適なのか検討する必要があると感じました。
 逆に、育児休暇など福利厚生はすでに体系化されていて、社員数20名規模としては珍しいと、とても驚きました。コロナ禍前ですが、時短勤務も在宅勤務もありました。女性社員の多くが重要資格を所持していたこと、5人の娘を育てた父の考えが、背景にあったのかもしれません。
―心づもりはあったけど
 19年の年末、父が風邪をこじらせたようでしたが、年明けの検査の結果、腫瘍が発見されました。当初治療は順調でしたが、5月末に転移が見つかり、深刻なので覚悟するようにとはっきり言われました。
 内心、会社を引き継ぐ心づもりはありました。とはいえ、状況の変化があまりに早かった。心境
は重くつらいのですが、事業承継を全力で進めました。あらかじめ準備をしていたわけではないので、右も左も分かりません。公共施設の設計も手がけているため、建築士事務所の承継は、代表を変更すれば済むわけではなく、骨を折りました。
 既にコロナ禍が始まっていたこともあって、妹たちが長期在宅勤務をしていたのは幸いでした。母と協力し、父を看ることができました。
 父自身のこと、会社の事業承継、母のサポートなど、姉妹でさまざまなことを協力して進めました。
 20年8月、父の他界と同時に社長に就任しました。会社を維持するためにも、目の前のことにとにかく取り組み、進めるだけでした。
 前職でも帰郷してからも、決めるのは上司で、自分はその事項に対し期限を決めて走るだけだったのですが、社長になると「決めるのが自分」。迷うことも多く、「誰か『私がやります』って言ってくれないかな」と、当初はよく感じていました。新しいことを始める決断だけでなく、やらない決断や、止める決断などもしてきましたが、どれも一筋縄ではいきませんでした。
―次世代経営塾の学び
 松本青年会議所で活動していた時、松本商工会議所で次世代経営塾の塾頭をしている瀬畑一茂さんにお会いする機会がありました。「もっとこの人の話を聞きたい」と感じ、第2期から受講しました。創業者や、自分と同じ2代目の方々と出会うことができました。
 組織経営について多くの学びがありましたが、創業者と2代目では、そもそもの視点が違うと改めて気付いたのが大きな発見でした。
 自分の目的や夢から会社を立ち上げ熱量ある創業者と、承継者との違い。共感はしているけれど、自分がゼロからつくり上げたものとはやはり異なる。そもそもスタートが異なる中で、承継者として自分はどうするべきか―。世代の近い、創業者の話が聞けてよかったです。
―今後に向けて
 阪神淡路大震災後、県内の多くの公共施設を中心に耐震診断・耐震工事を進めてきました。一定段階を終え、受注件数も落ち着いてきました。診断依頼がなかったわけではないのですが、最近は、新築の構造設計や改修に関わる構造検討を請け負うことが多く、「耐震」への対応はおおむねできてきたと実感していました。
 でも、元日に起きた能登半島地震を見て、改めてやることはもっとあると感じました。
 被災された方々や建物を見て、まずは、最低限のラインである「命を守る」ための「耐震」への対応ができているのか。そして、その先の生活も考え、住み続ける、使い続けるためにはどのようなアプローチが良いのか。私たち構造設計事務所の考えるべき課題として向き合っていきたいと思います。
(聞き書き・田中信太郎)