
「いける」終了間際の逆転弾
J3松本山雅FCが、Jリーグ入りへの道のりを戦った2008~10年にプレーし、今もって「クラブ史上最高のストライカー」とも記憶されるFW。その「闘いの記憶」は、主将・エースとしてチームをけん引し、JFL(日本フットボールリーグ)昇格を決めた2009年、大逆転で昇格の道をつないだ「信州ダービー」と、「ジャイアントキリング」(大番狂わせ)を成し遂げた2戦。自身は両試合で劇的なゴールを決めた。
その年、山雅は北信越リーグ1部で4位に終わり、JFL昇格を争う全国地域リーグ決勝大会に出場するためには、全国社会人大会(全社)で上位になる道しか残されていなかった。その北信越予選の準決勝(8月15日)の相手は、こちらもリーグ優勝を逃して同じ道でJFLを目指す宿敵AC長野パルセイロ。会場の新潟県新発田市には、大勢の両軍サポーターが駆け付けた。
試合は目を覆うばかりの劣勢で前半2失点。主将の柿本は「自分の背中で引っ張るプレーをする」と覚悟を決め、ハーフタイムに仲間を鼓舞した。すると後半開始早々に1点を返し、「いけるぞ」という雰囲気に。28分に追い付くと流れは山雅に傾き、「守ってカウンター」の意図も統一されて終了間際、狙い通り柿本が相手守備の裏に抜け出し逆転弾。「決めるまで無心だった。チームのまとまりが凝縮された後半だった」
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その全社の初戦を6日後に控えた10月11日。山雅は天皇杯2回戦でJ1浦和レッズをアルウィンに迎えた。観客は山雅の試合で当時過去最多の1万4494人。ホーム競技場の南側ゴール裏は、上から下まで真っ赤に染まった。
試合前に柿本は、吉澤英生監督(当時)からベストメンバーで臨むか否かを相談された。JFL昇格を優先し、柿本ら主力を温存する選択肢もあったが、主将は「浦和と地元で公式戦ができる機会はめったにない。ベストで」と選手を代表して答えた。
試合が始まると個人の力の差は歴然で、ボールを持つのはほぼ不可能だった。が、「全員守備でカウンター」の意識はここでも徹底された。前半12分、柿本が相手GKの頭上を越す鮮やかなループシュートを決めて先制すると後半にも加点し、2─0で当時三つ上のカテゴリーの、J1を代表するチームを破った。
「あれがおそらく僕の現役最高のシュート。あの時の試合運びが、その後にJ1まで登り詰める山雅の戦い方のベースになったかも」。そう語る元主将の顔は、少し誇らしげだ。
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昇格に導いたJFLで1季プレーし、現役を引退。アンバサダーや強化担当などを務めた後、いったん山雅を離れたが、昨年から再び育成組織の指導者として古巣に戻った。「トップチームの監督を務める気は?」との質問に「もちろん興味はある」とした上で、「監督をやると(成績次第で)いつかはクラブを離れなければならない。僕は『生涯山雅』と決めているんで」。クラブを愛する気持ちは、ストライカーらしく真っすぐだ。
かきもと・みちあき 1977年、福岡県生まれ。大阪体育大卒。JリーグではJ1の福岡、大分、C大阪、J2の大分と湘南で計7季プレーし、リーグ戦155試合に出場し29得点。山雅では北信越1部の08年と09年、JFLの10年にリーグ戦計55試合で33得点。今年、山雅の育成組織を束ねるアカデミーダイレクターに就き、U-18監督を兼任する。