2020.11.19 日本地域情報コンテンツ大賞・タブロイド部門で2年連続優秀賞

[創商見聞] No.21 土屋 みどり (クーリナ代表)

「通訳+α」の仕事を提供したい

―通訳になるきっかけは
 父親に海外留学経験があった影響で、子どものころから通訳者になりたいと思い、高校時代にアメリカに留学し、大学もアメリカの大学に進みました。卒業間際に預金の盗難被害に遭い、訴訟に発展したことから、英語力の他に法律の知識も身に付けようとパラリーガル(弁護士業務補助者)の資格を取得しました。
 帰国後は、派遣社員として精密機器メーカーのIT部門に勤め、通訳をする機会に恵まれ、すぐにその魅力に取りつかれました。直接話せなくても私を介することで会話が盛り上がったり、通じ合えたりする。世界の人や物が自分をきっかけにつながり、やりがいを感じました。
 その後、英語力と法律の知識を生かせられればと知的財産部門に入り、技術通訳をしながら特許事務、訴訟経理、特許技術者として勤務。最終的には結婚を機に、自分自身で仕事をコントロールできる人間になろうと、自ら仕事を辞め、独立しました。
―独立後の経営は
 国内に翻訳者はたくさんいるのですが、フリーランスの通訳で生計を立てている人は一握りしかいません。自分の武器を考えた時に、精密機器メーカーで働いていた経験を生かし、製造業に特化した通訳になろうと決めました。最初こそ通訳派遣会社に登録しましたが、日本の企業を担当したところ、相手企業のドイツ人バイヤーに、「こんなにスムーズな通訳経験は初めてだ」と気に入られ、そのまま顧客になってもらえました。その後も紹介につぐ紹介で、現在は35社とお取引をさせていただいています。
―商工会議所とのつながりは
 知り合いに商工会議所会員がいたこともあり、自分も会員登録しました。登録してからいろいろな支援制度があることを知りました。特に創業スクールは、受講することで利用できる支援制度があるため、起業後でしたが、法人化を検討していた時期に受講しました。実は正直なところ、商工会議所って何をやっているところなのか、よく知りませんでした。行けば何かしらバックアップしていただけるので、利用して良かったと思います。
―女性向け創業支援団体「ココノチカラ」、国際交流団体「ゴーグローカル」も設立した
 女性の活躍を応援する団体「ココノチカラ」で創業支援を始めたのは、独立時の孤独感がきっかけでした。当時、会社の宣伝を兼ね、異業種交流会にも積極的に参加していましたが、自宅でパソコン1台で起業した私とは違い、大規模事業者の方がほとんどでした。話題が合わず取り残されてしまい、「自分のような女性プチ起業家は居場所がない」と感じました。そこで、どんな小さなことでも相談できるよう、自宅で開業する女性のための創業講座を開き、コミュニティーを作りました。
 また「ゴーグローカル」は、日本人の国際化を目指して設立した団体です。日本人は意見交換が苦手なのか、主張の強い外国人を避けてしまうことがあります。でも意見は合わなくても、人間同士が合わないとは限りません。
 そこで、まずは日本に興味のある外国人と、英語を学びたい日本人で2泊3日の共同生活を体験する「まるで留学キャンプ」というイベントを塩尻で行いました。英語しか話してはいけない決まりなので、コミュニケーションを取るには、嫌でもたくさん話さなければならない。3日間を通じて少しでも相互理解に役立ったのではないかと思います。今後も塩尻を拠点に塩尻の良さを発信しながら国際交流を続けていきたいと思います。
―今後の事業展開は
 外国人との商談の場では、結論の先延ばしや、金額をうやむやにしてしまうと、技術面では劣る他国の企業に契約を奪われることがあります。大事なポイントを押さえ、次につなげる戦略的通訳を提供できるよう切磋琢磨(せっさたくま)していきたいと思います。
 また、企業に英語が話せる方も増えてきたので、「しゃべらない通訳」としての活動も広げていきたいです。重要な会議や商談での進行など、まだ自信が持てずプロ通訳を使いたいという社内担当の方もいます。適切な単語が見つからず、言葉に詰まってしまう時、聞き取れたか、相手の意図が理解できたか不安で確認したい時、とにかく時間効率良く会議を進めたい時―などに私を上手に利用いただけると、社内担当の方の存在感を示しつつ、内容を確実に理解してプロジェクトを前に進めることができます。
 最近は、企業の営業戦略会議や、通訳補佐として会議への出席も求められ、「おかげさまでうちの社員がしゃべるようになった」と言われたこともありました。今後もプロ通訳としての自分の役割を果たしながら、社内の方の人材育成のお手伝いになるような「通訳+α」の仕事ができるよう考えていきたいです。

【つちや・みどり】 クーリナ代表。塩尻市出身。42歳。米国の大学を卒業後、現地の法律事務所に勤務。24歳で帰国し、地元精密機器メーカーで10年間、派遣社員として技術員・通訳を務める。2010年、「世界一、地元経済の発展に貢献する通訳になる」という目標の下で起業。通訳の仕事の他、2つの任意団体の代表としても活動している。