【小林千寿・碁縁旅人】#25 転校生

文化庁の文化交流使としてブルガリア・ソフィアの小学校で囲碁の紹介をする筆者(2007年11月)

多くの新しい環境を経験

私は松本市内に生まれ、両親の教育方針で幼稚園は行かずに4歳半から囲碁を学び、小学校入学式の前日に親元を離れて神奈川県平塚市の師匠、故・木谷實先生(九段)に内弟子として入門しました。
小学1年生は平塚の花水小学校。その翌年春に師匠が東京・四谷に道場を移転。それに伴い、私も四谷第三小学校に転校。2年生の冬過ぎに松本の実家の母が私を心配し過ぎたのか病気になり、松本に戻って3年生から信州大学附属松本小学校へ。
そして、プロ棋士を目指して6年生の秋に再び東京へ。もともと家があった杉並区の堀之内小学校へ入りましたが、毎日、自宅から木谷道場、週末は院生(プロ棋士の卵)として品川の日本棋院へ通うのは大変だと考えた父は、「孟母三遷(もうぼさんせん)」にならい地の利の良い渋谷に転居。6年生の3学期は渋谷小学校で学び、5つ目の小学校で卒業しました。
どこの小学校が良かったかと聞かれたら、迷わずに「松本」と答えます。特に6年生の担任だった太田先生が毎朝はつらつと児童に掛ける「おはよう!今朝はうちのクラスの廊下が一番ピカピカしていたぞ!」という言葉が印象深く残っています。生徒は、その言葉を聞きたくて床の雑巾掛けを一生懸命しました。「朝一番の挨拶(あいさつ)の大切さ」「お掃除の気持ち良さ」を教えていただいたことを今も大切にしています。
それと原稿用紙に文章をたくさん書かされたこと。そのおかげで今も文章を書くことは大好きです。
さて、転校はいろいろな経験をさせてくれました。その頃は幼過ぎて分かりませんでしたが、今思い返すと、子どもは子どもの世界でいろいろな好奇心、偏見があったことに気づかされます。
図らずも幼い時から親元を離れて囲碁の道に進み、また転校に伴って多くの新たな環境に接した経験は、世界中の子どもたちに囲碁を教えるのに役立っているような気がします。(日本棋院・棋士六段、松本市出身)