【小林千寿・碁縁旅人】#37 広大な中国

漠河市のロシア風の建物

中国と日本の国交正常化50周年記念の慶典が、先頃行われました。囲碁界は中国と長い歴史があります。
囲碁の発祥は三、四千年前の中国とされ、日本に伝わったのは詳(つまび)らかではありませんが、701年の大宝律令の僧尼令に碁琴(碁と音楽)を禁止しない法律ができています。
その後、日本でも囲碁は身分の高い人々の教養(琴棋書画)の一つとして嗜(たしな)まれ、徳川幕府によって1612年に囲碁専門棋士が誕生します。
そして鎖国が解かれた明治時代になると、日中の政界人により囲碁交流が行われ、専門棋士がまだいなかった中国に日本の棋士が囲碁指導に度々訪問しています。
そして戦後の1949年の中華人民共和国成立後、両国の政界の主導で59年から文化交流の一つとして囲碁交流が再開されます。
私は79年の日本代表団の一人として初めて中国を訪問しました。3週間で北京、成都、武漢、重慶、上海を訪れ、中国の棋士と対戦し、地元との囲碁交流や、各地の観光をしました。
その頃の中国国民は人民服を纏(まと)い、自転車の移動が主。外国人は少ない時代です。
それから度々、中国を訪ねましたが、行くたびに目覚ましい近代化を目にしました。
最後は2018年8月に中国の一番北にある黒竜江省の漠河市の北極村で開催された囲碁イベントに参加した時です。
黒竜江(アムール川)4368キロはロシアと中国の国境です。その大河の前に立つと対岸のロシアがよく見えます。冬になると川が凍り、渡ることも可能になります。今は厳しい警備で無理ですが、当然、行き来がありました。
街中に行くとロシア風の建物があり、お土産店にはロシアのマトリョーシカ、琥珀(こはく)などが地元名産のブルーベリーなどと売られていました。
他国に行くと、改めて日本は海に囲まれ隣国に簡単に渡れない珍しい国であり、その地形の恩恵に甘えていることにも気づかされます。
(日本棋院・棋士六段、松本市出身)