MTB元日本代表に聞く 五輪の連続出場が途切れた原因は?

信州の子らに楽しむ機会を

オリンピアンの系譜が途絶えた。自転車のMTB(マウンテンバイク)クロスカントリー競技。1996年のアトランタ五輪で採用されて以降、日本勢は、2021年の東京五輪まで7大会連続出場を果たした。中信地区から男女合わせて4人の代表を輩出した、縁の深い競技だ。
インドで10月に開かれたアジア選手権。優勝国がパリ五輪出場権を獲得する重要な大会で、日本勢の男子は北林力選手(24、白馬村)の5位、女子は小林あか里選手(22、安曇野市)の6位が最高。中国勢に惨敗した。
原因は何か。再び日本人はひのき舞台に立てるのか?鈴木雷太さん(51、松本市小屋南)と小林可奈子さん(53、安曇野市穂高)の2人の五輪経験者に、展望と課題を聞いた。

最終的に経済力が必要

鈴木雷太さんと小林可奈子さんへの質問と回答は次の通り(以後敬称略)。
─MTBクロスカントリー競技で日本選手の五輪連続出場が途絶えた。心境は。
鈴木 残念で仕方ない。ただ、バランスの取れた強化、組織立った取り組みなど、最終的に経済力がないと解決できない問題が露呈した結果と、ある意味冷静に受け止めている。
小林 女子代表は、1996年のアトランタ五輪に私が出場して以降、代表選手たちが現在までに紡いできたものがないと気付いた。その時その時の「旬の選手」が出ただけで、次の選手に「バトンを渡した」という感覚は全くない。五輪出場は個人の出来事と捉えていて、伝統をつくれなかった。だから途中で途絶えても仕方ない結果だ。自分にも責任がある。「初代オリンピアン」として何もできなかった。
─原因は
鈴木 自分の子ども世代が選手になってきているが、今の選手は、いい意味での「自転車ばか」が減り、自分たち世代の選手と比べて競技に対する熱量が少なくなった。これは自転車競技に限ったことではく、時代の変化だ。ただ、欧州では今でも試合に臨む際に「戦争に行くぞ」という言葉は必ず出る。それくらいの気持ちでスポーツと向き合っているのは事実だ。
小林 学校の現場も私たち母親も、勉強をはじめ何でも、「そこそこできればいい」と、どこかで思っている。これを時代の変化だと片付けるだけでなく、新しい人の育て方を考える必要があると思った方がいい。

中国選手の変化に衝撃

─アジア選手権で男女とも中国勢が上位を独占(男子1~4位、女子1~5位)した。この現状をどう思う。
小林 アジア選手権を間近で見て、中国の女子選手がかわいい笑顔を見せるのには衝撃を受けた。私が現役時代の中国選手は、とても怖そうな監督に怒鳴られて「しゅん」としているイメージしかなかった。私の娘(小林あか里選手)にも明るく話しかけてくるなど、競技を楽しんでいる。ここまで変わると「中国には勝てないかも」と思ってしまう。
鈴木 今年は、中国が絶対に落とせない自国開催のアジア大会と選手権が重なったというタイミングも悪かったが、アジア大会を見て、この結果はだいたい予想できた。それほど実力差が付いてしまった。
─今後、日本選手が五輪の舞台に立つためには。
小林 長野県中の子どもたちがMTBというスポーツに触れるチャンスを増やすことだ。代表選手の数でいったら、全国の中で長野県は圧倒的に多い。そういった地域を、特別に支える企業が出てきたり、仕組みができたりしたらいいと思う。
鈴木 先の話になるが、今、安曇野市、池田町、白馬村などにMTBを楽しむ環境ができていて、実際にたくさんの子どもたちが遊んでいる。そういうところから競技の底上げが可能になり、しっかりとした土壌もできるのでは。

すずき・らいた
1972年、愛知県岡崎市出身。2000年シドニー五輪日本代表。16年リオ五輪マウンテンバイク日本代表監督。

こばやし・かなこ(旧姓・谷川)
1970年、埼玉県出身。1996年、アトランタ五輪日本代表。MTBクラブ安曇野主宰。