鍋倉山「森太郎」とブナ原生林の記憶・前編-400年生き抜いた巨木

貴重なブナの原生林が広がる飯山市の鍋倉山(1289メートル)中腹で昨年5月上旬、「森太郎」と呼ばれた推定樹齢400年超の巨木が倒伏した。この木が見つかった1986(昭和61)年、一帯の国有林の伐採計画とリゾート開発構想が浮上し、伐採か保護かで激しい論争に発展。全国で初めて市民による自然保護運動が勝利し、森太郎はそのシンボルとして、多くの人に元気と勇気を与え続けた。前後編の2回にわたり、森太郎やブナ原生林の記憶を当時の写真を交えてたどる。
【初対面、驚愕(きょうがく)の巨木ブナ】
87(昭和62)年5月下旬。東京都立大OBらによる観察調査に同行し、「巨木の谷」といわれるブナ原生林の急斜面をやぶこぎしながら登った。上部に突然、目を疑うような巨木が。波打つような木肌は、厳しい自然に耐えて生き抜いた証しのしわとこぶに覆われ、威厳すら感じる風格を漂わせていた。
後に「森太郎」と命名される、巨木が放つ強力なパワー。癒やしの波動だろうか?抱かれながら見上げていると次第に緊張が解け、心が開いてくるのが分かる。昔から「巨木には神が宿る」という。神聖なるブナとの初対面だった。
【森太郎と命名】
同じ年の7月26日。信州大教育学部付属志賀自然教育研究施設(山ノ内町)助手で全国のブナ林に詳しい渡辺隆一さん(後に信大特任教授。現在は「いいやまブナの森惧楽部」会長)と観察会員らが、この巨木を測定した。幹の直径約180センチ、周囲は5メートル34センチ、樹高約25メートル。渡辺さんが「(自分の)息子が森太郎と言うが…。どうでしょう?」と提案し、全員が賛成して名前が決まった。
当時、日本一といわれた森太郎。林野庁が2000年に、全国の国有林にある巨木を選んだ「森の巨人たち百選」の一本に指定された。昨年倒伏したが、中部森林管理局北信森林管理署(飯山市)によると、今後も指定からは外れないという。
【森太郎に導かれ…】
森太郎が発見された当初、周辺地域を中心としたブナ林自然観察会などが盛んに。90年代後半から2000年代になると、その名は県外でも知られるようになり、「森太郎に会いたい」と関東や関西から訪れる人が増えた。そんな中の99年5月16日昼、波田総合病院(現松本市立病院)の院長だった坂井昭彦さん(81、松本市宮渕)と職員3人が、念願の森太郎の前に立った。
米山やす子さんが持参した茶道具と湯で、野だてが始まった。「樹齢400年の命の感動をありがとう」と感謝し、まず森太郎に献茶。残雪の中、ブナが爽やかに芽吹く森で、森太郎を仰ぎながらのお茶会。「心が洗われる、夢のような至福の時でした」と坂井さん。案内役で同行した記者も、忘れられない思い出だ。
【心に生き続ける森太郎】
赤いユキツバキが鮮やかに咲く今年5月25日午前、森太郎の一周忌に現地を訪れた。幹に宿り、10年ほど前から森太郎の樹上でかれんに咲いていたオクチョウジザクラが、倒れてもなお寄り添うように花を付けていた。森太郎に感謝の気持ちを伝え、一人静かに別れを告げた。たくさんの感動をありがとう。
(丸山祥司)