【ガンズリポート】就任1カ月 小澤修一新社長に聞く「新しい山雅」手応えや将来は

目標は「信州から世界へ」

松本山雅FCの運営会社のトップが9年ぶりに代わって1カ月。就任時に「新しい山雅をつくる」と語った小澤修一新社長(44)に、手応えやクラブの将来像を聞いた。

指針の基は地域 対話と交流大事

─「社長」に慣れてきた?
ペースをつかむのに四苦八苦だが、外に出ていく機会をつくり始めている。改めて山雅への理解を深めてもらうため、対話を重ねようと努めている。
山雅をどうしていくかという指針の基は、この地域に落ちている。地域の人との会話や交流の中にあり、それを拾うアンテナを、これからも張っていく。
─地域の反応は?
変化への期待を実感すると同時に、「苦しい状況で、よく社長を引き受けた」と言われることが多い。実際、相当な覚悟が必要だったが、人生は一度きり。振り返れば松本に来たとき、リスクは一切考えなかった。その気持ちを思い出し、「チャレンジできる環境を与えてもらえるのだったら、やるしかない」と決断した。
─目標は「信州から世界へ」と語っている。
社長になる前から、将来的にどういうクラブになりたいかを考えていた。ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、J1にいた時の街の盛り上がりを思い出し、さらにその先へ行きたいと思った。
サッカーは、競技場を介して世界とつながれる。強くなればレアル・マドリード(スペイン)などのビッグクラブと真剣勝負ができるという夢を持てる。逆に、山雅が世界に出ることで、信州に人を呼び込むこともできる。地域にクラブが存在する意味が、そこにもある。
─J3の現状では、確かに大げさかも。
個人的な考えだが、高い目標を掲げることが重要だ。自分の現役時代を振り返ると、山雅でたくさんのお客さんの前でプレーして、JFL(日本フットボールリーグ)に上がれたことで、満足してしまったところがあった。でも、例えばもし「J1で100得点」という目標を設定していたら、練習も食事も意識が変わり、違った競技人生があったかもしれない。
もちろん、現状でいきなり「世界」は無理だし、言葉だけなら絵空事だ。やるべきステップを明確にし、踏んでいきたい。ピッチの結果やクラブの活動で質を高め、輪を広げる地道な作業を続けたい。

良い文化は残し未来に向け転換

─やることは、これまでとあまり変わらない?
これまでの山雅の良いところ、良い文化を変える必要はない。ただ、J1にいた頃(2015、19年)に戻ると言ったら、「昔は良かった」という感覚だが、当時と今ではサッカー界の環境が全く違う。J1クラブの売上高は山雅がいた頃よりだいぶ増え、100億円を超えるクラブが出てきている。同じ「上を目指す」でも、目線の先は未来に向けていたい。
─これまでのやり方は通用しないと?
新しい収益源をつくることが絶対に必要だ。今回、新たに代表取締役執行責任者になった横関(浩一)には、(前職が広告会社の電通という)ビジネスの最前線で闘ってきた経験を最大限に生かしてもらう。外から山雅にお金が流れてくる仕組みづくりの一方、この地域の中でも、僕らに見えていなかったものが彼にはたくさん見えていて、大小いろんな種を仕込んでくれている。
今回、社外取締役も含めて新しい血を入れた。これまで手弁当でつくり上げてきた良い文化は継承しつつ、未来に向けて新たなスタートを切る転換期にしたい。

おざわ・しゅういち
1979年、横浜市生まれ。現役時代はMF。2005年に北信越リーグ2部だった山雅に加入し、翌年の1部、10年のJFL昇格に貢献。同年限りで現役を引退し、育成コーチや広報、営業担当などを経て22年に取締役事業推進部長。24年4月に代表取締役社長に就任。