2020.11.19 日本地域情報コンテンツ大賞・タブロイド部門で2年連続優秀賞

[創商見聞] No.18 原 薫(柳沢林業代表取締役)

林業を通じて地域の発展を

―林業に携わるきっかけは
 大学卒業後、「木を読む」という本に出合ったのがきっかけです。木挽(こび)き職人(のこぎりで製材する職人)の本で、日本に昔からある自然と人との関わり方について感銘を受け、自分も職人になりたいと思いました。
 初めに静岡県内の森林組合で働き、現場作業はできるようになりましたが、もっと体系立てて林業を学びたいと思い、26歳の時に元信大教授で、当時は島崎山林研修所を開いていた島崎洋路先生に弟子入りし、伊那で山づくりをすることになりました。
―事業承継のいきさつは
 炭焼きをしていた夫との結婚を機に松本市へ移住し、柳沢林業の柳沢英治(現会長)さんと知り合いました。炭焼きの手伝いの傍ら、ある親方のもとで林業を続けていたのですが、近所だった会長とたまたま町会の運動会で会い、そのまま就職面接のような雰囲気に。翌日、さっそく現場を見に行き、2003年12月に入りました。
 事業承継の話が出たのは9年前です。会長からそれとなく相談されました。私も以前から夫を通じて多くの経営者と交流があり、経営品質協議会に出たり、他社へ視察に行ったりもしていましたが、その相談があってからは、さらに経営について意識するようになりました。会長が具体的に代替わりを考え始めたのが6年ほど前で、法人化しようと商工会議所に通うようになりました。ただ、やはり事業承継は簡単なことではありませんでしたね。幾多の紆余(うよ)曲折を経て、最後は会長の「薫ちゃん、やってくれや」という一言で決まりました。
 実はそれ以前に林業から離れていた時期がありました。現場の技術が身に付き、さらに広い視点で林業を見ようとしていたころです。頭でいろいろと考え過ぎたせいか、山の作業に集中できず、けがが続き、精神的にも疲れてしまい、離れることにしました。
 そんな時にヨガを始め、人生観が変わりました。社長業は小さな会社であっても責任は重いです。私の場合は、ヨガと出合ったことで腹をくくることができ、迷いなく社長を引き受けられたのだと思います。
―経営方針は
 50年間途切れることなく事業ができたのは、会長の経営方針が正しい証拠だと思います。その上で、いくつか改善もしました。まずは原価計算など会計の部分を明確化すること。安全で働きやすい職場環境の整備や雇用管理改善のために思い切って値上げをしました。それから自分たちも元請けになれるよう、山林所有者に直接営業をしたり、それまでやっていなかった公共事業にチャレンジしたりしました。
 会社経営にとって一番大切なのは役員や社員の意識だと思います。私一人でやっていても会社は成長できません。役員全員が経営者意識を持てるようにし、若手からもどんどん意見を出すように仕向けていきました。今は各責任者を中心に現場が回るようになったため、10人以上雇用を増やせました。
―今後の展開について
 今は、木材だけで暮らしが成り立つような時代ではありません。これからは木だけを見るのではなく、もっと広い意味で林業を考えていかなければなりません。そこで3年ほど前、林業の六次産業化を実現するプロジェクトチーム「ソマミチ」を立ち上げ、先日、法人化もしました。
 林業者、加工業者、建築関係者など10社が集まり、地元で製材した木を地元で加工し、多角的に販売するよう取り組んでいます。林業は農業と比べ、生産者が加工して販売することのハードルが高いので、同じ理念を持った仲間と出会えたことは本当にありがたいです。具体的には、地元のカラマツ材を使った家や外壁材の販売、山の資源を生かした商品開発、実際に木を切り施工する体験型ツアーを行い、徐々に賛同の輪も広がっています。
 今後はソマミチの活動により山や自然、林業のあり方をもっと多くの人たちに知ってもらうことが目標です。そして最終的には、林業を通じて社会貢献し、地域の発展につなげていきたいと思います。

【はら・かおる】 株式会社柳沢林業 代表取締役。川崎市出身。44歳。筑波大卒業後、木挽き職人を目指し林業の道へ。1999年に長野県へ移住し、2003年に柳沢林業へ入る。12年の同社法人化後、翌年より現職。狩猟免許、長野県グリーンマイスターなどの資格を持ち、里山の活用や、環境と福祉との連携にも力を入れる。16年には「農山漁村男女共同参画優良活動表彰」の農林水産大臣賞を受けた。

ばんえい競馬の競走馬だったヤマトを引き取り、馬搬やイベントなども行っている
ソマミチの活動の1つ「体験ツアー」