2020.11.19 日本地域情報コンテンツ大賞・タブロイド部門で2年連続優秀賞

[創商見聞] No.19 丸山 達郎 (ラフィーネ花工房あづみ野 代表取締役)

花にこめられた思いを大切に

―ドライフラワーを事業に選んだ理由は
 私は団塊の世代で、大量採用の時代に医薬品メーカーに就職しました。果たして定年まで働けるのか|と考えるようになり、起業するなら気力と体力のある50歳を目安にと思っていました。
 ドライフラワーを選んだのは、経済紙で取り上げられていたのがきっかけです。当時、生花の二次加工というと、押し花か家庭でつるして乾燥させたドライフラワーしか知りませんでした。より生花の形状に近いドライフラワーがあることを知り、衝撃を受けました。「これは当たる」と思い、手掛けていたベンチャー企業に連絡し、フランチャイズから始めました。
―苦労した点は
 販路の開拓です。起業にあたり、製作技術は教えてもらいましたが、販売先は自分で見つけなければなりませんでした。ガラスを使ったギフトアイテムなので、まず安曇野アートヒルズミュージアムやSUWAガラスの里に飛び込みで営業に行きました。生花に近いドライフラワーが珍しいということもあり、ありがたいことにすぐに採用され、かなりの反響をいただきました。また、たまたま店に観光で来ていた都内の百貨店のバイヤーの目に留まり、契約につながったこともありました。
 その後、バブル崩壊とともにギフト品が売れなくなり、次の手を考えなければならなくなりました。ちょうど、ウエディングで使ったブーケのドライ加工を手掛けようと、タイミングを見計らっており、主力商品に切り替えました。ブライダル業界でもドライ加工は珍しかったようで、長野市の大手生花店との取引が決まりました。軽井沢町の有名な式場でも採用され、全体で2800件受注した年もありました。
 順調に見えるかもしれませんが、時代の流れを読めなければ生き残れなかったと思います。常に市場調査や情報収集、それを生かした新商品の開発などを繰り返し、乗り切ってきました。
―会社の転機は
 2004年、花き業界の大型展示会「東京国際フラワーEXPO」に出展したことです。ウエディングブーケ加工に大手が参入し始め、継続するか、縮小するか、模索していたころでした。展示会には全国の生花店が訪れるので、「取引が決まれば地方の式場からもオーダーが入るのでは」と予想しました。多額の出展経費がかかるので、賭けでしたが、これが見事に当たって。40件ほど新規の取引が決まり、4、5年は多忙な時期が続きました。
 出展にはもう一つ理由がありました。従業員の育成の一環です。もともと意識の高い従業員ばかりでしたが、業界の最先端を体感してほしくて派遣しました。セールストークなど一通り教えて、商談も本人たちにやってもらいました。業界人と直接話をしたことで、世間のニーズも分かり、意識改革にもつながった。従業員たちにとって貴重な機会になったと思います。
―創業を振り返って
 未経験の素人から始めました。当初は材料の仕入れ先も分からず、電話帳で探して、自分の足で調達してきました。起業時から妻には支えてもらいましたが、家族にも迷惑がかかるので、絶対に失敗はできないという思いでした。
 ここまでやってこられたのは人に恵まれたおかげです。展示会やブライダルの内見会では、親身になっていろいろと情報を教えてくれた方たちがいました。商工会議所には起業セミナーや創業者交流会を紹介してもらい、また技術的な面では、県の工業試験場に連れて行ってくれ、新たなドライの加工技術を試すなど、お世話になりました。
 製作の現場は細かい作業が中心で、従業員には常に集中力が求められます。根気のある人にしかできない仕事で、商品の出来上がりに想像力も求められます。従業員たちの創意工夫があるからこそ他社と差別化ができ、評価されてきたと思います。  
 当社が注文を受ける花は、ウエディングブーケや記念日に贈られたものなど、思いのこもったものです。その思いを残したいというお客さまの気持ちを大切に、今後も人生の節目となるメモリアルドライフラワーの形を提案していきたいと思います。

【まるやま・たつろう】 有限会社ラフィーネ花工房あづみ野 代表取締役。松本市出身。71歳。県内の高校を卒業後、医薬品メーカーに就職。31年間の勤務の後、51歳で退職。シリカゲルなどの乾燥剤でより生花に近い状態のドライフラワーを製作する会社を起業。現在13人の従業員を雇用し、インターネットなどによる全国からの受注に対応している。