【像えとせとら】大澤先生頌徳碑・松本市岡田松岡

慕われる真っすぐで熱い教師

岡田小学校の正門前に、教え子らが先生への感謝の気持ちを込めて建てた、ユニークな形の「筆の像」がある。同校で1889(明治22)~99年に校長を務め、その後も1916(大正5)年まで計28年にわたり教鞭(きょうべん)を執った大澤政恒の顕彰碑。教育者だから筆の形?理由は不明だが、台座を含めて5・7メートルと仰ぎ見るような高さだ。
当時の岡田村青年団と同校同窓会が発起し、大澤が退職した翌年に建てた。「岡田小学校七十年誌」は、除幕式に約2500人が参列したと記す。碑に携わった人も豪華で、碑文を書いたのは県歌「信濃の国」の作詞者で県師範学校の教師などを務めた浅井洌。
題字を揮毫(きごう)したのは「法学博士 髙田早苗」。これは早稲田大学の創設者の一人で、大隈重信の内閣で文部大臣などを務めた人物だろう。村の青年団らは最初、松本市出身で、旧文部省の次官などを務めた教育界の大物、澤柳政太郎に依頼したが、澤柳の病気を理由に髙田に頼んだ経緯が、七十年誌に記されている。
大澤は1858(安政5)年、松本藩士の家に生まれ、77(明治10)年から開智学校など市内の小学校で教えた。80年に発足した自由民権運動の結社「奨匡(しょうきょう)社」の名簿に、浅井と共に大澤の名前がある。教え子に慕われる、真っすぐで熱い教師だったのだろう。