【小林千寿・碁縁旅人】#1 囲碁界から世界へ

碁を始めて1年の5歳半の時、父と対局。後ろは着物姿の母と弟たちと、父の事務所で働いていたお姉さんたち

4月になり新学期。囲碁界も新たなスタートです。NHK囲碁講座は19歳の上野愛咲美・女流最強位が講師、駒ケ根出身の下島陽平八段がサポート解説で始まりました。パンチ力のある上野プロの碁の考え方を、下島プロが楽しく伝える番組になりそうです。
さて私は1954(昭和29)年に松本市中町で生を受けました。4歳半から碁を学び、小学校入学と同時に神奈川県平塚市の故木谷實九段に内弟子として入門(翌年東京に移転)。その後、母が患い、いったん松本へ帰郷しました。それから3年半、信州大学附属小学校に在籍しました。
しかし、県代表クラスの父は松本では修業の限界を感じ、私と、囲碁の道に進んでいた弟3人、母を東京へ移しました。今度は弟たちも木谷門下に入門。同時にプロ棋士養成の「院生」になりプロ棋士への道が始まります。
こんな経緯で松本に住んだのは短いですが、小学校のバス通学、通学路の大名町、四柱神社、縄手通りは懐かしく、お蔵の多かった中町の家の物干しから隣のお蔵の屋根に上って見た山々は本当に美しかったです(危ないと叱られましたが…)。
その後、高校2年の夏に入段試験に受かり、今も対局を続けている現役の棋士です。弟たちもプロ棋士になり、それぞれに現役棋士として活躍しています。
プロ棋士の仕事は盤上を極め精進することが第一ですが、指導、普及することも大切。私は小さな時から世界に目が向き、「大きくなったら碁を教えながら世界中を回る」と思い込んでいました。
そして19歳の時に日本棋院の海外囲碁普及棋士に選ばれ、故本田幸子(当時三段)と10カ国、16都市で50日間の囲碁指導。それを皮切りに長年、世界中で日本の囲碁を普及してきました。
このコラムでは碁の縁で私が得た多くの経験や、エピソードをお伝えしたいと思います。

(日本棋院・棋士六段、松本市出身)