【像えとせとら】安曇野市役所 将軍の孫(安曇野市豊科)

姉妹都市の記念少年の正体は

麦わら帽子をかぶり、ぶかぶかの軍靴を履いて、右手を挙げている少年。敬礼しているようにも見え、かわいい顔でこちらを見つめている。つい頭をなでたくなるような表情で、身長は約45センチ。2階の政策経営課と秘書広報課の間の廊下にいる。
市文化課によると1987年11月、東京都武蔵野市の当時の助役が豊科町(現安曇野市)出身という縁で、両市町が姉妹都市提携を結んだ。像はその際に寄贈されたもので、旧町役場に飾られた。
「贈られた当初よりつるつるとし、凹凸がなくなってきた」といい、市役所に移される以前から、来庁者にかわいがられてきたことが分かる。
作者は、長崎市にある「平和祈念像」も作った彫刻家の北村西望(1884~1987年)。北村は、安曇野の祭りや行事に参加した記録が残っていたり、アトリエが武蔵野市の吉祥寺にあったりしたことから、双方にゆかりがある彼の作品が選ばれたのだろう。
では、この少年は誰なのか。当時3歳で、後に彫刻家となる北村の長男治禧(はるよし)さん(故人)という説が有力だ。北村が、日露戦争で戦死した「軍神橘周太中佐」の像を制作するために預かった遺品の長靴を、アトリエを訪れた治禧さんが履き、北村に向かって敬礼したのだという。
タイトルの「将軍」が誰なのか、なぜ「孫」なのかは分からなかった。作者のイメージなのかも。