「花筵」が映える弘法山古墳の春景色(松本市)

散った桜花が、大自然のアートの「花筵」となって際立ち、明るく地面を飾る=ニコンD5AF-S ニッコール16ミリ、8日午前5時35分、弘法山古墳

松本市の桜名所で知られ、花に包まれ鮮やかに彩られる国史跡「弘法山古墳」。この春は、開花も落花も記憶にないほど早く、“桜前線”は例年より10日ほど早く通り過ぎた。
撮影の下見で訪れた7日は、小雨交じりの強風にあおられ花吹雪に。8日、夜明けに出合ったのは、地面一面に散った花びらを敷き詰めた「花筵(はなむしろ)」と呼ばれる光景。短歌や俳句の春の季語になっている驚きの絶景だった。
「筵」は、藁(わら)やイグサなどで編んで作った敷物。「花筵」は、花の散り敷いた光景を筵に見立て例える語。他に、花見の宴の「花ござ」を指す場合も。
8日午前4時半。前日、構図を決めた撮影位置にカメラをセット。薄明が始まった空と対比し、地面を彩る花筵がほのかに明るい。夜が明けて驚く。花筵が林内奥深くまで続いている。朽ちて土に返る株の上に、ハラハラと花びらが優しく散る。時の流れが重なり見える。桜花が演じる生と死の被写体。人の輪廻(りんね)転生を願いながらシャッターを切った。
美しさとはかなさを同時に持ち合わせる桜の花風情に、日本人は人生観を重ねて眺め、愛(め)でてきた。平安の昔から多くの俳人や歌人に詠まれ、これほど精神面に影響を与える花はない。「散る桜残る桜も散る桜」。江戸時代の僧侶で歌人の良寛和尚の有名な句が脳裏をよぎった。
(丸山祥司)