県豆腐商工業組合が解散―最後の「品評会」入賞し思い語る

「品評会がなければ、仕事としてただ豆腐を作るだけだった。この会のおかげで成長させてもらった」
しみじみと語るのは、「第27回県豆腐品評会」で2年連続10回目の最優秀賞を獲得した富成伍郎商店(松本市原)の富成敏文代表(60)だ。
同品評会を主催する県豆腐商工業協同組合(井上雄太理事長)が、組合員の減少などから今月で解散。1997年から開催してきた催しも、今回で最後になった。
四半世紀以上続いた、全国でも類を見ない品評会。県産豆腐の品質を全国トップクラスに引き上げた。中でも中信地区の事業者の功績は大きい。最後の年に入賞した地元4事業者の代表に、品評会が果たした役割や今後の豆腐作りなどについて語ってもらった。

培われた向上心さらに高めるー中信4事業者の代表語る

座談会の参加者は、富成伍郎商店の富成代表、洞沢豆富店(松本市中山)の洞沢好廣代表(68)、田中屋(木曽町福島)の林祐彦代表(56)、田内屋(松本市笹賀)の井上雄太専務(54)=以降敬称略。

―県豆腐商工業協同組合の解散の経緯は。
井上ここ数年で急激に組合員が減ったのが一番の理由だ。組合として運営していくのが難しくなった。財政的に組合員の負担を増やすのが現代にマッチしているかといえば、それは違うという結論だ。
洞沢解散は残念でしょうがない。全国の中でもこの組合は仲が良く、助け合いながら向上していこうという雰囲気があった。わが子を失うくらいの寂しさがある。

―品評会が始まった27年前はどういう状況だったか。
洞沢高速道などが整備され、県外から安い豆腐が入ってくるようになり、対応策として品評会が始まった。
富成店の後を継いで7、8年目。「日々の仕事」として豆腐を作っていた。当時、品評会はイベントの一つとしか思わなかったが、回を重ねるうちに、豆腐作りが自分を表現する仕事になった。品評会がなかったら「豆腐屋」としてどうなっていたか、ぞっとする。刺激も彩りもない生活になっていたかも。
井上田内屋に入った頃。ちょうど豆腐作りが機械化され、豆腐という「商品」が右から左に流れていた。当時は、豆腐の味とか出来に興味がなかった。今も作り方はそんなに違わないが、豆腐に対する考え方は大きく変わった。

―品評会の果たした役割は。
林これだけ廃業する豆腐店が出てくる中、向上心を持って品評会に来る店は、元気でやっている所が多いと感じる。それが一番の功績だ。
井上にがりや水、豆で豆腐の味は変わる。それを見直そうという気になった。機械化したから「できない」ではなく、「何とかしよう」と、チャレンジするきっかけをくれた。機械でも品評会に出せる豆腐が作れるようになったのは、品評会のおかげ。

―今後について。
林豆腐に関する今の自分の立ち位置の確認と、作り方などの引き出しを増やすのが社長としての役割。品質の向上にはこれからも力を入れたい。
井上自分が理事長の時に組合の幕引きとなり切ないが、そういう時期だったと納得しようと思っている。この品評会のおかげで、長野県のにがりを使った豆腐作りが、全国に波及したし、「豆腐で競おう」という機運を広めた。全国に友達もできた。今後は品評会とは違うアプローチで製品の向上を目指したい。
富成豆腐だけではない、大豆を中心とした豆の多様性や魅力を発信していきたい。
洞沢息子が後を継いでいる。昔は味も親から継いだが、今は時代に合った豆腐作りを息子自身が考えていかなければ。
林経営をしっかりさせることを考えれば、自分のやりたいこととやるべきことがずれてくる。それでも豆の研究をしっかりして、引き出しを増やすことが、将来の対応につながると思う。

【メモ】長野県豆腐商工業協同組合 県内で豆腐の製造・販売をしている業者で構成。豆腐の品質向上と県産大豆の消費拡大が目的。おいしく、安心安全な製造技術の向上を目指し全国に先駆けて1997年から、県豆腐品評会(県と共催)を開催。解散前の組合員数は16人。