輸出に手応え 活路見いだして
塩尻市広丘高出の水田地帯にある酒蔵、丸永酒造場は今年、創業150年を迎えた。この老舗の銘柄「高波」の味を守り続けるのが7代目、永原元春代表だ。杜氏(とうじ)でもある永原さんは酒造りの技術向上に日々、研さん。品評会で入賞を続けている。一方、日本人の日本酒離れに加え、昨年はコロナ禍で出荷量が激減した。逆風が吹く中でも輸出に注力するなど懸命に活路を見いだす。
永原さんは今年、同社の看板商品でもある大吟醸の仕込みの方法で大きな挑戦をした。これまでは、その日作ったこうじは翌日に使ったが、今年はこうじを5日間放置してから使用。品評会で入賞率の高い東北地方の酒蔵が用いる方法だ。
永原さんは「長野県の酒は、後味に、苦味、渋味が残ると評価される傾向がある。この方法でそれが解消されるか分からないが、同じことをやっていても進歩はない」と強調する。
同社は長年、日本酒の公的審査会と呼ばれる全国、関東信越国税局、長野県の3つの審査会のいずれかでほぼ毎年入賞。永原さんが杜氏になった2004年からもそれは継続している。
こうした審査会に出品せず、独自路線を行く酒蔵も少なくないが、永原さんの考えは違う。審査会には、その年に入賞する味の「傾向」があり、その年の傾向から翌年の傾向を探り、それに合った酒を造るのが杜氏の力量につながるからだ。
永原さんは「酒造りの技術は年々向上している。そのレベルを維持し、『こういう(傾向の)酒を造りなさい』といわれ、それができれば、どんな酒も造れる」と説明する。
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一昨年9月、人のつながりから、シンガポールでコンサルティング会社を経営している人と出会い、同国の富裕層向けに輸出が決まった。「日本で2000円の酒がシンガポールでは4、5倍で売れる」と永原さん。中信地区が主な市場だった酒蔵にとって魅力ある販路だった。ところがコロナ禍。昨年の3月以降、輸出はぱったりと途絶えた。
創業150年の節目を迎えても先は見通せないが、下ばかり向いてはいられない。永原さんは「輸出には手応えがあり、今後、東南アジアやドイツなどにも広めたい」と先を見据え、「高波を『おらが酒』と思ってくれる地元ファンがいる。そういう人たちを大切にしながら、酒造りの技術を向上させていくしかない」と職人の誇りを見せた。
【プロフィル】
ながはら・もとはる
1967年、塩尻市出身。松本深志高から広島大生物生産学部に進み、微生物を研究。宝酒造(京都市)に就職し3年間、酒造りを学ぶ。1994年、丸永酒造場入社。2007年、代表就任。53歳。