【ビジネスの明日】#22 ホテル玉の湯社長 山﨑広太さん

創業1885(明治18)年。松本市浅間温泉の老舗旅館「ホテル玉之湯」の経営を昨年6月、親の代から引き継いだ山﨑広太社長(37)。コロナ禍、そしてアフターコロナの時代を見据えたかじ取りの基本は、「人を幸せにするため」の経営だ。
5人きょうだいの長男。28歳で家業に入り、調理以外の業務全般に携わる傍ら、セミナーなどに参加。経営者のスキルや心構えを学び、これからの旅館経営で大切なのは「人材育成」だと感じた。若い人材を一から育てようと、昨春の採用から正式に新卒採用に乗り出し、会社説明会やインターンシップなども実施。今春も2人を採用した。

サービス充実へ人材育成に力

「子育ても、部下を育てるのも本質は同じ」という考えから、通称「子育てセミナー」と題した、主に中堅社員向けの人材教育を昨春からスタート。結果を見るだけでなく、「良い結果を出そうと努力した過程を認める」といった指導法などを学んでもらう。
ゲームを通じて経営者感覚を養う「マネジメントゲーム」研修も新たに取り入れた。日ごろ、経営者の目線になることが少ない従業員が、経営を身近に捉えて、双方の連帯感を高めるのが狙いだ。
「仕事は、人生のかなりの時間を費やす。働く時間がいいものになれば従業員の人生も充実し、お客さまへのサービス向上にもつながる」。人生を豊かにする「非日常」を楽しむ手伝いをするのが旅館の使命で存在意義だとコロナ禍で再認識したという。
夕食後、出演者と宿泊客が触れ合いながら楽しむ名物の「車坐(くるまざ)コンサート」、時代に先駆けた館内バリアフリー対応など、先代は豊かな発想力と行動力で玉之湯の個性を打ち出した。「伝統という言葉で考えたことはないが、これらを応用していくのが自分の役割」と自覚する。
体が不自由な利用客へのサービスや、従業員の発案によるコンサートの盛り上げ方など、これまでの「売り」を、来館してもらう「目的」になるよう、充実を目指す。コロナ収束後には、インバウンドの受け入れにも一層力を入れる考えだ。
大学時代はメキシコに語学留学。卒業後、1年半ほど沖縄県で暮らし、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設、東村高江でへリコプター離着陸帯建設の反対運動に加わった。戦争の理不尽さを感じ、基地問題に関心を寄せるのは、「観光は平和でないと成り立たない」という思いもあるからだ。

【プロフィル】やまざき・こうた  1984年、松本市生まれ。松本県ケ丘高英語科(当時)卒業後、東京外国語大でフィリピン語を専攻。2013年6月、玉の湯専務に。地元の若手旅館後継者や有志による「タビオコシ会」の中心で活動し、枕投げイベントを開催するなど地域活性化にも取り組む。同市浅間温泉1。