子へ愛情注ぐ町の「シンボル」
座った母の右膝に乗り、両手を広げ胸を反らせる子。その子の腰を優しく抱きとめる母…。子の成長への願いと愛が感じられる。
月見町の街並みを4つに分ける中央ロータリーの、真ん中に置かれている町の「シンボル」だ。高さは台座(約1メートル)を含め2・5メートルほど。
月見町は、県企業局が笹部団地として手掛けた宅地開発事業で誕生し、1964(昭和39)年に約240区画を分譲した。町の“名付け親”の麻和郁正さん(88)によると、団地へ入ったころは家がまだ50~60軒。新しい町会をつくることになり、町名を募集したところ、字名の「西原」が多かった。
しかし、麻和さんは、西原は他にも多くある名で、奈良井川に架かる月見橋に近いことから「月見町」を提案し、賛同を得たという。母子ブロンズ像の設置に関しては住民に話があったわけではなく、「企業局が団地を造る時に決めていたのではないか」と話す。
市制施行100周年記念事業として2008年に発刊された冊子「鎌田地区の歴史と文化」によると、作者は日展審査員の長沼孝三さん(山形県出身)。月見町会のページ末尾には「住民の心のオアシスとして、この母子像のない月見町は考えられません」と記している。
昭和39年といえば、前回の東京五輪が開かれた年。それから57年、像は町の歴史を物語る貴重な文化財だ。