【中村小太郎・駆け出し百姓の自然農奮闘記】#49 我田引水

「ジョレンヲモッテツイテコイオオセンゲノサライヲスルゾ」と親戚の兄さんにたたき起こされました。5年前、移住して初めての春のことです。
「〇〇を持ってついて来い(以降は全く不明…)」。「鋤簾」とは農具の一種。蔵にありました。「せんげ」とは、この地方(松塩地方のみか…)独特の表現で「水路」のことだとわかったのは2時間の作業の終わる頃でした。地域で力を合わせて田んぼに水を引く大事な前作業「さらい」に参加できた瞬間です。
水路清掃で集合すると仲間と「あけましておめでとう」と言い合います。前年の稲刈り後、わらをバラバラにして肥料として活用するワラカッター作業、秋起こしという耕うん作業、冬の間のあぜ修理を経て、さらい作業で春が来たことを実感します。
水路清掃が終わると、せんげに水が流れはじめます。それを機に育苗の準備が始まります。まずはハウスの補修だ…。今年も大雪でビニールが所々破れています。育苗マットを洗ったり、培土という播種用の土を準備したり。農閑期から急に気ぜわしくなります。
中村の家には信玄の安堵状とされるものが伝わっています。川中島の合戦に向かう途中で信玄公は、この吉田の地(塩尻市広丘吉田)を自領にして稲作をさせると同時に退路の確保をしたのかもしれませんね。それ以来、何百年も肥沃な、田園風景の素晴らしい場所です。
移住してきて良かった。