【中村小太郎・駆け出し百姓の自然農奮闘記】#73 水路清掃

「水路清掃の通知」。これが来ると急に気ぜわしくなります。農閑期の間に、あれやっとかなきゃ、あれもしなくちゃと思っていたことが一気に現実になります。小太郎米の田んぼが引いている水の水路清掃は3月末です。水路清掃に使うジョレンという道具を倉から探すところからです(コラッ)。
地区の水路はいくつもあるので、管理組合の役員さんには、水路の間での清掃日程調整も大事な仕事です。そっちが朝からなら、こっちは昼からにしとくな、という調子です。
信州のこの辺り(塩尻市広丘吉田地区)は、戦国時代に領土拡大とともに水稲栽培が広まったと考えられています。水稲栽培を効率のいいものにするために、堤防などの土木工事に戦力を割いている歴史もあります。
近所に地元で「信玄堤」と呼ばれる水路があります。中村の先祖は武田信玄の足軽で、川中島の合戦に向かう途中で「其の方(そのほう)は、この地で開墾して土着せよ」と命じられた安堵(あんど)状も残っています。領土保全と退路の確保の両得だったのでしょう。その頃に水路をみんなで造ったのだろうと思われます。上流からここまで、大変だったと思います。感謝します。
その水路も整備が進み、現在のコンクリート製になりました。水路組合の重鎮からは、それ以来、蛍がいなくなったと聞きました。ですが、市内広丘高出の辺りには蛍遊歩道もあります。まだまだ水のきれいな田川水系の水路で、蛍祭りをやれたら良いねと夫婦で話しています。